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- パチスロライターが大臣の前でスピーチ? 紆余曲折すぎる元『クズ田中』さんが路上の子どもを救うまで。
インタビュー・ウィズ・スロッター(稀にパチンカー)
2020.03.24
パチスロライターが大臣の前でスピーチ? 紆余曲折すぎる元『クズ田中』さんが路上の子どもを救うまで。
チワッス。あしのです。2016年10月より連載を続けてきました「インタビューウィズスロッター」ですが、ついに今回で一旦の最終回となります。今までのインタビュイーは総勢45名。何人かまとめてお話を伺っている分やお蔵入り分を含めるとさらに多くの業界人にその「人生」についてのお話をモリモリ伺いまくって来たのですが、有終の美を飾るお相手はこの方! 感無量! ドン!
……元『クズ田中』さんです!
ん。元? そう。実はクズ田中さん、現在は主に実名の『田中宏明』さんで活躍されておられます。パチ7のユーザー諸兄の中にも実名の方でピンと来る方が、もしかしたらいらっしゃるやもしれません。そう。実は氏は『パチスロ必勝ガイド』でライターデビューされた後、現在は『NPO法人セブンスピリット』の代表として、音楽を通じフィリピンの路上やスラムで生活をする子どもたちを支援する──という活動をされておられます。この度その活動が評価され『文部科学大臣賞』および一般社団法人倫理研究所主催『地球倫理推進賞』を受賞されたという事で、業界内に激震が走ったのは記憶に新しいですね。
おお……。パチスロライターから地球倫理……!?
果たして何故そんな感じになったのか。何が氏を突き動かすのか。そこに至るには何かしらの──例えばシンパシー、使命感、あるいは興味なのか何なのか分かりませんが、きっと行動せざるを得なかった原動力があるはず。今回はその辺りを中心に探って行きたいと思います。
ちなみに、氏はこちらパチ7上でも『あの時オレはクズだった』という連載を持っておられました。ご本人が自ら『クズ田中』時代を振り返るという自伝的内容の名著なので、まだご覧になっていない方はそちらを読んでからだと更に理解が深まるかも?
それでは行ってみましょう。インタビューウィズスロッター、一旦の最終回。元クズ田中さん編です。どうぞ。
【元クズ田中さんはこんな人】
1981年、愛媛生まれ。21歳の時パチスロ必勝ガイド誌上で『クズプロ田中』としてライターデビュー。のちに『クズ田中』に改名。ペンネームが示す通りクズなエピソードを交えた作風が多くのファンを作るもある日唐突に業界撤退を表明。フィリピンはセブ島に移住し路上生活の子どもを音楽で支援するNPO法人『セブンスピリット』を立ち上げる。エキセントリックな人物が多いパチスロ業界に於いても一際異彩を放つ経歴の持ち主。 |
セブンスピリット代表に訊く! まずはざっくり学生時代の話。
年末のある日。場所は浅草の老舗定食屋だ。前日飲みすぎたアルコールが抜けないままフラフラ状態の編集長と共に迎えると、田中宏明さん──元クズ田中さんは笑顔で会釈を返してくれた。
「はじめまして! あしのと申します。すいません今日はお時間をいただいて──」
「いえいえ。田中です。宜しくお願いします」
「まずは文部科学大臣賞受賞、おめでとうございます──!」
「ああ、ありがとうございます。あれ実は今度スピーチがあるんですよ。40分も何話そうかなと思ってて……」
「へぇ。そういうのって誰に向かってやるんです?」
「……大臣?」
「大臣!(笑) すげえっすね。史上初じゃないですか。パチスロライターが大臣の前でスピーチ。凄い事になってるなぁ……。今回、こういう形でお話を伺う事になって俺も色々チェックしたんですけど、最近田中さんインタビューもちょいちょい受けてらっしゃいますよね」
「そうですね。ウェブメディアとか……。パチスロの話は全然聞かれないですけどね」
「そうなりますよねぇ……。ちなみにこのインタビューもあんまりパチスロの話はお聞きしません(笑)──、なんかすいませんホント……。ではまず最初に、基本情報の確認から宜しいでしょうか。田中さん今おいくつですか?」
「1981年の1月生まれなので、今38です。もうすぐ39」
「あ、ほぼタメだ。編集長がちょっとだけ上か。だいたいこの辺同年代ですね。なるほど。血液型は……?」
「A型です」
「ご出身どこでしたっけ?」
「愛媛です」
「ポンジュース。わかりました。ちなみに今回はですね、やっぱりセブンスピリットの事をメインで伺いたいなぁと思ってまして。普段は田中さんの幼少期の話をメインでガッツリ聞くんですが、今日はそこじゃないだろうなと。とはいえ触れざるを得ないんでざっくり……。子供の頃ってどんな子でした?」
「内向的だったと思います。勉強は出来たんでよく委員長とかやらされてたんですけども、学級会の司会がうまく出来なくてみんなの前で泣いたりとか」
「え、それで泣くんですか……」
「否定されるのを極端に恐れてたんですよね。例えばみんなの前で喋った事について女子とかから『それ違うんじゃない?』って言われると、もう泣いちゃう。……打たれ弱いんですよね。それは今でもそうなんですけど」
「今度のスピーチ大丈夫ですか。大臣から『それ違うんじゃない』とか言われたり……」
「流石に泣きはしませんけど(笑) 否定されると落ち込むというのは今でも変わってないかもしれません」
「なるほど……。趣味とか好きな事とかはありました?」
「趣味というか、小学生の頃からバスケはやってましたね。強いチームだったんでそれで全国大会に行ったり──」
「うわ、ガチだ……。楽しかったですか?」
「いや、全く楽しくなかったです。しんどいだけ。地獄でした。すごい厳しかったんですよ。中学生の時とか特に。元旦だけ休みであと全部練習。しかも事あるごとに殴られて殴られて……。」
「うぇ。手ェ出してくるんだ。やだなぁ……」
「礼儀とかも厳しいんですよね。『謙虚であれ素直であれ』ってひたすらすり込まれて……。それが今でも頭に残ってて、人格形成の基盤になってる部分があります」
「えー。謙虚であれって言いながら殴る! うーん。アンビバレンツ。ちなみに全国大会に行くほど強いチームだったということですが、田中さんも試合に出てました?」
「はい。僕シックスマンでした(※第六の男。スターティングメンバーのすぐ次に出てくるメンバーの事。試合の流れを変える重要な役割をもつ)」
「強いチームのシックスマン……! モテモテじゃないですか!」
「いやぁ……。全然。そういうのは無かったですね。とにかく時間がなくて──」
「ああ……。一年で正月しか休みがないなら、そうなるか」
「そうです。しかもその上、塾も行ってたんですよ。もともと僕は勉強が出来てた方なんですけど、当時は300人くらいの生徒の中で5番目とか」
「すげえ。スーパー中学生だ」
「うーん……。そうでもないんですよ。中途半端なんですよね。飛び抜けてバスケができるわけでもないし、飛び抜けて勉強ができるわけでもない……みたいな。この辺は結構コンプレックスになってます」
「コンプレックス──ですか。じゃあ……例えば生まれ変わるとして、もう一回中学生の頃の状況になったら、次はバスケ一本とか、勉強一筋、みたいな感じでやりたいとか」
「どうだろう……。続けるのにも才能ってあるじゃないですか。僕、何事もだいたい飽きちゃうんですよ」
「ああ。分かるかも。編集長の持論知ってます? 『大体の事は一年半で飽きる』ですよ」
「一年半はちょっと短いですけど(笑) でも同じことをずっとやり続ける、というのは僕は向いてないんですよね。だから人生を色々振り返ってみた時に、九年サイクルで全く新しい事にチャレンジしてるんです」
「九年サイクル……。なるほど。分かりました。ちなみに冒頭で『内向的』という単語が出てきたんですけど、今こうやって話してる感じあんまりそんな感じはしないのですが、やっぱ当時からすると内面は変化されてますか?」
「してますね。中学の頃に『お笑い』がすごい好きになったんですよ。昼休みにそういうのが好きな男子みんなで教室の後ろに集まってワイワイ話したり……。それで多少明るくなったのはありますね」
「へぇ……。何観てました?」
「当時だとやっぱりダウンタウンの『ごっつええ感じ』とか。当時みんなが通る道だと思うんですけど、あとはとんねるず、ウッチャンナンチャン。その辺ですよね」
「あーもう流石同年代。よく分かります……。まとめると、バスケのシックスマンで、成績優秀。お笑いも好き。うーん。健全ですね。ここ最近なかった健全さ……!」
「当時はあんまりクズではなかったです。ああ、でも中学終わった春休みに、いきなりパチスロに行きましたね。何か行ってみようかなぁと思って」
「それは書いても大丈夫です? 地球倫理的に……」
「まあ、大丈夫じゃないですか? 色んな所で書いてますし」
「いいのか……。オーケーです! では初打ちの時、何打ったか覚えてます?」
「尚珠社の『ハットトリック』(※1997年の4号機)でした。まあ1,000円か2,000円くらいですけど、お小遣いで打って……。最初全然分かんなかったんですよね。雑誌読んでる訳でもなし、詳しい人と一緒にいるわけでもなし。情報が何も無かったんで──。とりあえずメダル入れて叩いて、7がテンパイしたらずっと待ってるみたいな」
「何で待つんですか(笑)」
「テンパイしたらすっごい音が鳴り続ける台だったんですよ。ファンファンファンファンって。ああこれ何かこれあんのかなって待つじゃないですか。そしたら隣のおじさんに『入ってねぇんだから早く止めろよ!』って怒られて」
「(笑)」
「仕組みも分かってなかったんで最初。狙えば揃うみたいな。フラグも理解してなかったです」
「へぇ……。そうなんだ………。あ、ゲームとかってやってましたか? 小さい時」
「うちお爺ちゃんが厳しかったんで全然持ってなかったですね……」
「やっぱり。インタビューしてると最初ゲームにどっぷりハマってて、それでパチスロ打ってもフラグの理解が早かったとか、そういう方が多いんですよね」
「僕は2年半かかりましたね」
「長ッ! それは長い……!」
「だって最初にリプレイハズシしたの高3の終わりですからね。設定っていう概念も当然知らなかったですし」
「えー……。マジですか。負けませんかそれ」
「かなり負けてたと思います」
「その状況で打ち続けるモチベーションって何だったんでしょう」
「うーん……、パチ屋のコミュニティってあるじゃないですか。常連さん同士とか、スタッフさんとかとの。そういうのが好きだったんですよね。パチスロ打ちに行くっていうより、その場の雰囲気が好きで行ってたのが大きいかもしれません」
「あー……。いいなぁ。分かります」
「田舎のね。毎日いる常連のおじさんとか……。小っちゃいコミュニティだったんですけども、目押しできないおばちゃんのをやってあげたらメダルちょっとくれてそれで打ったり──。あと拾いコインもめっちゃやってましたね」
「あーそれ読みました。ガチなんですね」
「ガチです。めっちゃ拾ってました。なんなら500円だけ持って行ったりしてましたよ。これで8ゲームだけ回せる! って」
「すげぇ(笑) わかりました。じゃあもう、高校時代はパチスロ漬けと……。あれ? バスケはどうしたんですか?」
「高校でも一応バスケ部に入部したんですけど、顧問が素人の先生だったんですよ。そしたら中学の頃の厳しかった反動が一気に来て、ああもう別にやらなくてもいいやって。それで辞めちゃいました」
「おお、今までバキバキに縛られてたのが開放された感じですねぇ。一気に遊びそう。……グレたりとかはしませんでした?」
「グレてはいないです。ただ、僕が住んでた地方って1~2コ上が最後のヤンキー世代だったんですよ。ほんと僕の学年からピタッとヤンキー文化がない、みたいな。でも僕はいとこのお姉ちゃんとかがいたりした影響で、ヤンキーというものに憧れを持ってたんですね。僕も高校になったらボンタン履きたい! でも実際入学したらアレッ……なんかみんなダサくねって」
「(笑)」
「卒業は出席日数ギリギリでなんとかしましたけど……。とりあえず朝からパチンコ打って先生からPHSに電話があったら休憩札を刺して登校する……みたいな。中退は嫌だったんでその辺ちゃんと計算して、ああもうそろそろ真面目に出なきゃとか。ただ勉強はしたくなかったんで、授業中はひたすら小説読んでました。こう……図書室から面白そうな小説をガサっと借りてきて、教室の机の横の所に積み上げて一冊ずつ読破……」
「うわすごッ。それ先生の反応は……」
「いやもう無視されてましたね。特に怒られもせず……」
「うーん。確かに叱りづらい部分でもありますねそれ。授業中にペヤング食ってるヤツは叱れても、読書してるのは微妙なところだなぁ……。俺が先生だったらまあ、放っとくかなぁ……」
「ちなみに、先生からは僕たぶん好かれてましたよ。授業中は無視されてましたけど、放課後とかは先生とめっちゃ喋ったりするタイプだったんで。ただ授業は受けないヤツなんだって思われてるだけで」
「あーもう特殊なポジショニングというか。立ち位置を見つけてますねェそれ……。先生とどんな話してたんですか?」
「例えば数学の先生は最初僕のこと嫌いだったんですよね。女子バスケの顧問だったんですけど、その先生に筋トレを教えて貰いにいったんですよ。先生、ここの筋肉鍛えるにはどうしたらいいんですかって。そしたら『ああそこはな、こうしたらええよ』って親切に教えてくれるんですよ。それで授業中以外は普通に話せるようになって──……」
「──上手いッ!」
「いや違う違う(笑) 普通に聞きたかったから聞いたんですよ。詳しい人の話っていつでも参考になるんで、知りたいことはそういう人に聞いた方がいいなと思って。他にもこの話はこの先生、この話はこっちって、色んな先生に話を聞いて──」
「人たらしだ!」
「(笑)」
「でも真面目な話、田中さんは知識欲というか、そういうのが強いのかも知れないですね。興味がある内容はガッツリ知りたいけど、そうじゃないことは興味ない……みたいな。だから授業は聞かないけどそれ以外の事を学ぼうとするんだ……。なるほど。じゃあもう高校はパチスロと読書──……」
「そうですね(笑)」
「わかりました。ありがとうございます。その先──、田中さんNSC(※吉本興業のお笑い養成所)に行かれたんですよね」
「そうです。高校卒業してすぐ行きました」
「インタビュー、NSC、梅木さんに続き2人目です。当時何期生ですか?」
「卒業してないんですけど、もし、してれば22期でしたね」
「22期っていうと……。麒麟? とか」
「より下です。キングコングとか……」
「あ、知ってる。確か凄い世代だ……!」
「そうです。花の22期って言われてて──……。まあNSC行くっていうのは中学の頃から親に言ってて、それもあったんで高校の頃は勉強あんまりしなかったんですよね。それより本読んでた方がいい……みたいな」
「どうでした、吉本。思い出とか──」
「いや、あんま無いんですよね。とにかくお金がなかったという記憶しか……」
「ありゃ。当時仕送りですか?」
「貰ってました。でも7.6枚の店でずっと『ハナビ』打ってて全然勝てなくて」
「(笑)」
「最後の方は電車賃すらなくなってチャリンコで西成からNGKの所まで通ってましたね」
「ほぇー……。なるほど。ちなみに当時の同期の人と連絡取ったりします?」
「いや全然。僕そもそもそんなに友達が多い方じゃないんですよ」
「あ、そうなんですね」
「はい。あんまり仲良くない人と喋ってるより、自分と対話してればいいやって」
「じ、自分と対話……」
「しませんか?」
「いや、あんまりしないかな……?」
「僕結構しますよ。一人で酒飲みながら自分と対話して──。自分が自分のことを一番分かってるんで、一番良い話相手になるんですよね」
「えー……。なるほど。編集長、自分と対話します?」
(対話しねぇよ)
「ですよね。それ言語化してちゃんと対話するんですか。心の中で思うとかじゃなくて」
「いや、対話ですね。しっかり。自分と会話……」
「えー、マジですか。そんな人初めて聞いた……」
「なんなら対話しながら泣くことありますからね。自分と」
「やべぇ人じゃないですか(笑)」
ガイドワークスを辞めた理由について。セブンスピリット始動まで!
▲2019年11月の日本公演ではとても素敵なスピーチをされてましたよ
「さて。ここまでで学生時代終了──。その後田中さんはガイドライターになってそこで活躍されるわけですが……。そこはまあ『あの時オレはクズだった』の方を読んでいただければという事で割愛しちゃいましょう。さて。今回のテーマになる部分。それが『なぜガイドワークスを辞めて、フィリピンの子どもたちを支援しようと思ったのか』という部分なんですよね」
「んー……。理由はいくつかあるんですが、根底には『逃げ』があるんですよ」
「逃げ……。何からのですか」
「(パチンコ・パチスロ)業界からの、ですね」
「業界からの逃避……。ちょっと詳しく聞いて良いですか?」
「当時はまだ雑誌にDVDがくっついたりはしてないですけど、だんだん業界が映像の方にシフトしていく所だったんですね。例えばテレビだとか──。そういう気配があって。このままいくと、多分そういうメディアに出る人が成功していくんだろうな、というのが、もう見えてた時期で」
「田中さん自身は映像には──」
「そこでは勝負できないと思ってました。だからもういち早く逃げようと」
「いち早く……」
「このまま居てもそういうのが得意な人に追い抜かされるだけなのが分かってたんですよ。僕はそれが嫌だったし。その時点で早めに『次の場所』を探さないとなって」
「ふむ……」
「それから、僕はガイドから仕事を結構貰ってた方なんですけど、それだって自分の力じゃないと思ってて。要するに先輩から可愛られてるから貰えてたり。それをある時『これ何なんだろう』って思ったんです」
「これ何だろう……。というと」
「これを10年20年続けて、一体何になるんだろう。何が残るんだろうって。僕はお金イコール自分の実力じゃないと思ってます。バスケやってた時に先生から『謙虚であれ素直であれ』って言われ続けてたのが、自分の中に残ってるのかも知れません。お金が貰えてるからって別に自分に実力があるわけじゃないんだぞ、って。一人でやってる訳でもない。たまたま風が吹いて、分不相応な扱いをして貰って──」
「地に足が付いてない感じというか……」
「はい。このままだとちょっとヤバいんじゃないかなって。そういう風に思ったんですね。もちろん原稿を書いて入ってくるお金は全然良いんですけど……。例えば来店も始まった頃だったんですが、僕は先輩についていって座ってるだけなのに、なんかそれなりのお金が入ってくる。でも仕事した感じがしない。言葉は悪いかも知れないですけど、僕はそれを『得体の知れないお金』だと思ったんですね。本能的に『このままじゃヤバい!』って思いました」
「ヒャッホウ楽ちんだぜ! とかは……」
「全然ないです。あ、これはヤバいぞ! って。自分が死ぬまでのトータルで考えたらマイナスなんじゃないかなって。これが当たり前だと思ったら絶対おかしくなっちゃう」
「おぉ……。マジすか」
「はい。その辺りが辞めようと思ったきっかけ──で、ちょうどその頃塾長とベトナムに行く事があって、いわゆるスラムの子というのを目の当たりにしたんですね」
「スラム……。ちょっと俺そういうスラムみたいなのって実際に見たことがないんですけども……、田中さん最初見た時どう思いました?」
「『楽しそうだな』って思いました」
「楽しそう!?」
「んー……。これ難しいんですよね。もちろん物質的な豊かさはないんですけど、精神的な豊かさは持ってるなぁって。これで物質的に豊かになればもっといいなぁと思いました」
「ちなみに編集長、実際にスラム行ったことあるんですよね?」
(ん。あるよ。フィリピンのね)
「どう思いました?」
(日本で良かったァって)
「そりゃそうですよね……!」
(俺がスラム行った時は田中さんに案内してもらったんだよ。そしたら『え、ここ入ンの?』みたいな路地を田中さんガンガン進んでって、水たまりで水浴びしてる人とかに『ウェイッ、ウェイッ』って挨拶してくんだよね。いやいや、ウェイじゃねーよって。ビックリしたもん。衝撃だったよ)
「(笑)」
「なんかワクワクするじゃないですか。あーこの人達こんな所に住んでるだ! って。自分の知らない世界なんで凄いワクワクするんですよ。そう言えば僕小学生の頃『ズッコケ三人組』が大好きだったんです。あれ読んでると冒険してる気分になるじゃないですか。凄いなって思って。今思えば結構それが原体験になってて──冒険であるとか、未知の物事への憧れ……そういうのが自分の中にあるんですよ。スラム見た時にそれが出たのかも知れません。凄いな。楽しそうだな──……」
「冒険──! ああ、そういう事か!」
「今思えば大阪時代にも、西成を冒険して身ぐるみ剥がされそうになったりしてましたし。やっぱり冒険は好きなんですよね」
「(笑)」
「……それでまあ、頭の中に『スラムの子』というキーワードはあったんですけど、もちろん最初は今の形は全く想像してなくて……。ガイド辞めた後、とりあえず何やるにしても英語は必要だろうな、と思ってセブ島に語学留学に行くことにしたんですね」
「セブ島。フィリピンですね」
「フィリピンです。最初半年の予定だったんですけど、その当時に仲良くなった日本人の大学生が『子ども達に音楽教育をやりたい』って言ってて……。あ、それ良いなぁ。じゃあ僕が場所を作るから、教育はそっちが。その時に今のセブンスピリットのイメージが何となく出来て──ただまあ、具体的な方法は全然決めてなくて走り出してから考えたんですけども」
「あ、それで音楽を通しての支援なんだ……」
「そうなんですよ。僕一人だったら絶対音楽での支援にはしてないです」
「あー、それ気になってたんですよ。なんで音楽なんだろって。だって人生の中で音楽って単語一回も出て来てないですもんね……。ちなみにその大学生の方って今でも一緒にやられてるんですか?」
「いえ。彼は今はもう関わってないですね。ただ音楽を通じた教育というのは完全に彼のアイデアと情熱──。僕、正直手段は何でも良いと思ってたんですよ。スポーツでもいいし。キャンプでもいい。子どもが楽しけりゃそれでいい」
「子どもが楽しけりゃいい……。ああ、いいセリフだ……。子ども好きなんですねぇ」
「いや、別に、嫌いッス」
「なんでやねん──! え、なんで……? ちょっと今一気に分かんなくなった(笑)」
「今でもそうですよ。別に子どもが好きだからこういう活動をしてるとかは無いんですよ。やってると仲が良い子とかも出てくるんで、そいつらとはこう……『ウェイッ』ってやるんですけど」
「ウェイ(笑)」
「それはほら、子ども全般が好きってわけじゃなくて、そいつと僕との仲が良いからなんで……、例えば知らない日本人のその辺の子とかに『ウェイッ』ってはやらないですよ」
「事案ですねそれは。確かに……」
「だから『スラムの子の支援』というのも、何でやってるのか自分でも良くわかんなくなる事が未だにありますよ。何で俺セブに居るんだろうって。何回も思ってますもん」
「えー……! マジか。意外です。ほえー……。なんか不思議な話ですねぇ……。ちなみに、現地の子どもからは好かれてるんですよね……?」
「流石に嫌われてはないと思いますけども……」
「何て呼ばれてます?」
「僕の下の名前の『ヒロ』と、あと向こうでは『クヤ』がお兄ちゃんって意味なんで、それをくっつけて『クヤ・ヒロ』って呼ばれてます」
「ヒロ兄ちゃん。あー……慕われてる。ホッ……! そう呼ばれて田中さん何て返すんですか……?」
「『ウェイッ』って」
「今まで田中さんの現地でのセリフ全部『ウェイ』ですね(笑)」
「英語そんなに得意じゃないんですよ……」
まさかの大学進学者まで! セブンスピリットってどんな所?
▲英語って難しいよね。(8年目)
「セブンスピリットを立ち上げてから今で何年くらいになるんですか?」
「2012年2月からなので……8年目ですね」
「俺なんか外野から見てるだけなので、ウナギ登りでガンガン来てるような印象を持ってるんですけども、実際たぶん紆余曲折というか、大変だった事とかもあると思うんですよ。当たり前ですけど。最初の頃に苦労したのってどんな事でしょう」
「とりあえず僕は当時、今よりももっと英語が分かんなかったんでまず現地スタッフを見つけるのが最初のテーマでしたね。立ち上げの時は日本に帰ってきてたんですけど、ネットで色々な人と面接して、その中でドロシーっていうスタッフを採用して──」
「ドロシーさん。採用の決め手は何でした?」
「笑顔が一番ステキだったという所ですね」
「(笑)」
「それで、ドロシーに手伝って貰いながら教会の前でロウソクとか花とか売ってる子らに声を掛けて──。最初はあんまり信用して貰えなくて、子どもがなかなか来ないんですよね。来てもあんまり定着しなかったり──。だから最初の頃はそもそも子どもがなかなか集まらないというのが大変でした。あとは単純に運営資金──」
「あー、お金……」
「ある程度用意して始めたんですけど、途中で全然足りなくなって親に借金して──。ちょうどそれも5年分割でこないだ返し終わりました」
「おお、完済。じゃあ今は結構歯車が噛み合ってる感じですか?」
「全然です。キツい。結構みんな成功してる成功してるって言ってくれるんですけど、まだまだ吹けば飛ぶような団体です。お金的には『良し! 大丈夫!』って思ったことは一回もないです。まだ危ない」
「なるほど……。そうなんですねぇ。ちなみに子どもの数とか今何人くらいに……」
「今は200人くらいですね」
「うわ、想像してたより多い」
「いやー、月謝取りたいんですけどねホント」
「(笑)」
「だんだんと認知されていって──今は地域とかの制限もあるんですけど、一週間で50人受け入れようって決めて募集すると、それが一時間くらいで全部埋まるようになりましたね。だから最初の頃の『子どもが集まらない』という問題は解消されてます。むしろ受け入れが出来なくて断るのが辛い。僕はもうそれはスタッフに全部任せますけども」
「なるほど(笑) ……田中さん、今までの子どもたちの中で、特に印象に残ってる子って居ますか?」
「あー、居ますよ。インジュン──トランペットの子なんですけど、小学校1年くらいでセブンスピリットに来て今が14~15歳。最初は本当にドスラムのクソガキでした。スリで生計を立ててるような」
「おお……」
「それがね、誰よりも早く練習に来て、終わった後も残ってずっと練習するんですよ。そしたらすごく上手になって……。なんと最近は海外で練習してプロのトランペット奏者になりたいって言うようになったんですね──。だからインジュンに関しては僕は胸を張って言えるんですよ。彼の人生はセブンスピリットで変わったって。これは断言できる。だから思い入れが強いですね」
「プロの奏者……! ああ、それは人生が変わってる──」
「あとはゴミ山っていうところがあって、沢山の子どもがそこでゴミを拾って売ってっていう暮らしをしてるんですけど、最近はそいういう所でも出張教室をやってるんですね。そこで出会ったアキーシャって女の子──彼女は本当にゴミ山で生まれてゴミ山で育って、そしてゴミ山で死んでいくような生活をしてたんですけども、セブンスピリットと出会って。音楽を始めて。演奏はまだ下手くそなんですけど、僕はそういう子こそ色々体験させてあげたいと思って、それでこの間の日本公演にもゴリ押しで参加してもらったんですね。飛行機乗って日本に来て、演奏してスピーチして……」
「おお……。スピーチまで」
「はい。そういう子に日本に来てもらって色々体験してもらった方が、そのゴミ山の地域にとっても絶対にプラスになると思ったんですよ。だからアキーシャだけじゃなくて本当は3人の子を連れてくる予定だったんですけど、一人は書類上の問題で。もうひとりは親からの反対で来れなくなって。アキーシャだけなんとか……」
「え? 親が反対……。それは何故?」
「例えば日本人でも『子どもを宇宙につれていきます』って行ったら大抵の親は反対すると思うんですよ。生きて帰ってこれるかわからない。それくらいゴミ山と日本の距離は遠いんです」
「……なるほど」
「あと書類上の不備で来れなかった子も可哀想で。両親が本当の親じゃないっていう事がその時に分かったんですよね。要するに知らせる必要が無い事実を本人に知らせるきっかけを作ってしまった。しかも今後本人が何をするにしても、書類って必要になってくるものじゃないですか。だからもうそこは今後セブンスピリットがサポートしていって──」
「あ、そういう活動まで……」
「はい。やりますね。主にスタッフがですけども。やってます。とにかく、そういう事があったんでゴミ山の3人は最近ではかなり印象が深いですね」
「わかりました。ありがとうございます。しかし、書類までか……。ただ音楽だけってわけじゃなくて、なんだろう。人生そのものを支援──みたいな感じなんですね」
「僕も最初の数年、明確に『こいつらをこうしたい』とかそういうのは無くて、何となく路上の子に楽しいことが出来る所を作れればいいや、くらいに思ってたんですけどね。やってる間にこういう形になりました。で、フィリピンに長く住んでると今度はこいつらにとって『大学』というのが凄く大きい物なんだなというのが分かってきて──。僕は大学に行ってないんですけど、どうにでもなるじゃないですか日本では。でも向こうじゃそうではない。今、一般的にフィリピンの平均給与が大体日本円で3万円くらいなんですけど、大学に行くと可能性が一気に広がるんですね」
「大学……。なるほど……」
「それで色々調べたらいわゆる楽団を持ってる大学というのがフィリピンにもあって、音楽の活動で奨学金をくれるというところが出てきたんですよ。しかも返さなくていいヤツ。これはまだ最近始まったんですけども、既に数人それを利用して大学に──」
「行ったんですか? 凄い! スラムから大学へ……。ゴミ山から未来へ……。人生めっちゃ変わってる……! その子たちどんな反応でした?」
「あーもうそれはもう。嬉しそうに言うんですよ。『セブンスピリットは俺が支えていくんだ』とか。みんな次世代に還元したい、貢献したいって」
「うわ、めっちゃいい話。なんか偉人伝みたいになってる」
「『俺はビルをつくるんだ!』とか」
「素晴らしい! 嬉しいですねぇ」
「単純に嬉しいですよ。『クヤ・ヒロはもう早めに引退していいよ。俺らが面倒みるから』って言ってくれたりね」
「うわー! 凄い。なんて答えたんですか?」
「『お前マジでやれよ?』って」
「(笑) いやーでも話聞いてるとすごい。これ何十年かしたら現地に石碑立つ系の話ですよね。……そういえば俺すげー気になった事があるんですけど、日本で定期的に公演されてるじゃないですか。こないだも、俺チケットはあったんですけど仕事が入っちゃって行けなくて。ただ周りの人に聞いたらみんなもれなく『泣いた』っていうんですよね。編集長も泣いたんスよね?」
(すげー泣いたよ。あれは泣くって。だって演奏終わってから子どもたちがみんな泣きながらハグすんだぜ。あれ見て泣かない人はいないと思うよ)
「そう。ワイルドさんもめっちゃ泣いたって。ピノコさんも泣いてたって言ってましたもね。で、ちょっとお聞きしたいんですけども、田中さん泣いたりしないんですか?」
「本番では泣かないですね。むしろ練習で頑張ってるのを見て泣きそうになる事はあります。ただ、恥ずかしいんで子どもの前では泣きません」
「我慢するんだ……」
「いや。そっと外に出て泣きますね」
「(笑)」
「あとはやっぱり、子どもが『新たな経験で震える瞬間』というのを目の当たりにするとちょっとグッと来ますね」
「新たな経験……というと」
「例えばもう、ちっちゃな事でいいんですよ。ショッピングモールに行くとか」
「ショッピングモール……」
「行けないんですよ。スラムの子って。下手したらつまみ出される。それがセブンスピリットと出会って状況が変わって『ショッピングモールに行けたよ!』って。今まで出来なかった事を経験して、嬉しかったり興奮したり。震えるんですよね。子どもって。それがこっちもやっぱりグッと来る」
「やり甲斐がある、みたいな」
「やり甲斐ですか。うーん……。あるかなぁ」
「ありましょうよそこは(笑)」
「正直、あんまり意気込んではないんすよね。子どもたちが楽しけりゃそれでいいんじゃん。くらいの感じで──」
元クズ田中さん。次なるステージへ……? 質問ラッシュと今後の展望。
「じゃあ、そろそろ尺も良いようなので最後に質問ラッシュ行ってもいいですか」
「どうぞ」
「今回あんまりふざけた事聞きたくないんですけども、すいません巨乳と貧乳どっちが好きですか?」
「貧乳です」
「おーっと。久々の貧乳派。ありがとうございます。次、今後の展望というか、目的みたいなのってありますか。人生の」
「あー……。以前ハーバード大学から入学案内が来てたんですよ」
「ハーバード……? セブンスピリットの子ども宛ですか?」
「いやもう自分宛です。ディア・ヒロアキって書いてあって」
「(笑)」
「なんかよくわかんないんですけど、大学院に来いって」
「ごめんなさい、ハーバードってワードが強すぎて意味がさっぱり入ってこない(笑) 講師として来いって事ですか?」
「じゃなくて、生徒として。公共政策を学びに。2年間」
「……どうするんですか?」
「行こうかなぁって」
「マジですか(笑) ハーバード。前代未聞ですよ。元パチスロライターのハーバード大学院生。やばい超ウケる」
「面白いですよね。結構お金が掛かるみたいなんですけど、まあ誰かに借りりゃいいや──って。まあ案内は3年くらい前に来ててそれっきりなんですけども。でもハーバード大学じゃないとしても、そのうちフィリピンでも日本でもない所に行こうとは本気で考えてます」
「あー、冒険だ。好きなんですねぇやっぱり『全く新しい事』ってのが。なるほどなぁ……。じゃあ次──最近パチスロについてあんまり語って無いと思うんで、なんかこの機会に語る事ってありますか?」
「パチスロっすかァ……。僕ねぇ、特殊な性癖があって、負けてる時の方が楽しいんですよ。負けて負けて、使っちゃいけないお金に手を出してる時ほど興奮する」
「(笑)」
「実際そうじゃないですか。人生に与える影響でいうと、勝ってる時より負けてる時の方がデカイ。3万勝っても別に人生は何にも変わらないけど、3万負けたら死ぬかもしれない。ああこれ死ぬかもっていう戦いこそ、逆に『うわ、生きてるな』って。だからもう、負けたいんですよね基本」
「それもうRSN行きましょうよ(笑) じゃあ次。墓に持っていきたいパチスロ台ってありますか?」
「んー。別に持っていかなくても……。強いて言えばですか? じゃあ『ピンクパンサー』ですかねぇ」
「ありがとうございます。では次。田中さんみたいに、例えば海外で何か活動したい! とか全く新しい事にチャレンジしたい、と思ってる方に向けてアドバイスをお願いします」
「僕は『人生が一番のギャンブル』だと思うんですよ。チャレンジして失敗するのはもちろんありますけど、チャレンジしなくて失敗する事だってある。だからもう後先考えずにやった方がいいと思います」
「深い……。ではクヤ・ヒロ。セブンスピリットの子どもたちに一言お願いします」
「なんだろ……。楽しく生きて。かな」
「うん。シンプル・イズ・ベスト! では最後に……生まれ変わってもパチンコ・パチスロ打ちますか?」
「……多分打たないと思います」
「ありゃ。そうなんですね……! わかりました。以上です。ありがとうございました……!」
**********
以上。元クズ田中さんのインタビューでした。いやー、何だろう。人生がもはや伝記。冗談抜きでこの方はそのうち教科書に載る可能性があると思います。最後の方で「ハーバード」って単語が出てきましたけど、もし実現すればアジアの枠を超えて世界規模で活動する事になるでしょうし、「冒険好き」という性格を考えるとそれは恐らく本人もまた望む所だと思います。なんかねぇ、勉強になりました。
元クズ田中さん、長い時間ありがとうございました。今後の活動も応援しています!
──さて、本来ならばここでは総括として「人生設定」を行う所ですが今回はナシ。代わりに「最終回」についてのお話をちょっとだけ。
これにてあしのによる「インタビューウィズスロッター」は一旦の最終回となります。最終回の理由は簡単で、単純に「人生について聞いていくのに限界が訪れた」からです。ひとえに筆者のインタビュアーとしての実力不足であるのは勿論なのですが、流石に出てくるエピソードが徐々に類型化していってる兆候が見えてきておりまして、このまま続けていってもサプライズが無くなっていくだけだなと判断。編集長とも話し合いを重ねましたが、次回からは形を変えて改めて再スタートを切る事と相成りました。
じゃあどんな形にするんだよ、というとまだ完全に見えてはいないのですが、より面白く、より笑える形にしていきたいなと。心機一転、やっていきたいと思っております。従来の「インタビューウィズスロッター」のファンのみなさん(いるはず!)にもご納得頂けるものを必ずや作りたいと思いますので、またしばしお付き合い頂けるとこれ幸い──。
というわけで新装インタビューウィズスロッター。46人目をお楽しみに。シーユー!
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- あしの
- 代表作:インタビュー・ウィズ・スロッター(稀にパチンカー)
あしのマスクの中の人。インタビューウィズスロッター連載中。元『セブンラッシュ』『ニコナナ』『ギャンブルジャーナル』ライター。今は『ナナテイ』『ななプレス』でも書いてます。
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毎回、インタビューされてる人の意外な話を読めて、楽しませてもらいました♪
どんなカタチになっても、引き続き応援するねー(ノ ̄▽︎ ̄)
また、あたしにインタビューしてね(笑)