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パチ7自由帳・匠
2021.03.11
あの日から10年。
10年前のあの日。
東日本大震災から10年となりました。あの日起こったこと、衝撃的な映像などは、各テレビ局などがまとめて特集してくれることでしょう。もちろん、それがすべてとも思いません。まだご苦労をされている、かつての日常を取り戻せていない方々もたくさんおられます。10年が節目とも思いません。ただ、あのときに何をやっていて、何を思っていたのか。振り返るタイミングだとも思うのです。
2011年3月11日14時46分。まだパチ7はございません。当時、私は777@nifty(現:777スリーセブン)を中心に活動していました。コラムだけではなく、パチスロの機種ページも、ほぼ私が書いたものです。あの日も朝まで原稿を書いて、その解放感から大爆睡をかましておりました。
大きな揺れとなった瞬間、リビングにある『スカイラブ』の実機が倒れないように押さえに走りました。内心こう思っていました。
「ついに来たか。子供の頃から30年以上も聞かされ続けた東海地震か。それとも首都直下型地震か」と。そうではありませんでした。テレビを点けると震源に近いのは東北地方らしい。東京がこれなら、東北はどうなってしまうのか。そこからはみなさんもご存知のとおりです。
インターネットメディアの対応。
まずは、私がどっぷり携わっていた777@niftyの対応から。2011年当時は、メディアも過渡期。動画サイトなどはまだ少なく、インターネットのポータルサイトとしては最大級となっていました。機種ページ以外にも、パチンコ・パチスロ・業界系。それぞれのライターが毎日複数の記事を更新しておりました。
3月12日以降、それもストップします。あの日、私が徹夜で仕上げた機種ページも、機種の供給体勢が見直しを余儀なくされてペンディングとなりました。まあ、当然ですね。それから10日ほど経って、別枠でそれぞれが震災への想いを記して、徐々に通常の記事も再開していくこととなりました。毎年恒例だったエイプリルフールの企画などは中止です。
この辺り、777スリーセブンとなった際に残されなかったのが悔やまれたりもしますが、情緒不安定な時期の文章が残っていなくてホッとしたりもしています。
この頃、私は既に紙媒体の仕事をほぼしていなかったので、それらの対応は詳しくありませんが。一部のパチスロ雑誌は凸版印刷の仙台工場で刷っていたので、原材料の不足や物流も含めて、大きな影響があったのは想像するに難しくないです。
各ライターの対応。
この当時、パチスロライターの間で流行していたのはブログ、アメブロでした。いつもは写メなどで実戦のことを中心にする方が多かったですが、この日を境にそういった記事が姿を消すことになります。
コロナ禍の比ではなかったとのかな。楽しいこと、パチスロのようにこの世になくても影響のないことでワイワイするのが不謹慎。そんな世間の空気でした。各ライターのブログでは避難所の状況や、計画停電などのお知らせが多くなっていきます。みんな、何を発信すれば良いのか。空気を模索していたように感じます。
まだ復興は途上ですが。終わりの見えない、もうピークを越したのかも分からないコロナ禍と比べるのも難しい話ではありますけどね。コロナ禍は営業自粛などの物理的な苦しさがありますが、この当時の不謹慎狩りの空気は、精神的なダメージがありました。
その当時から私は、ブログに書くのは座学でした。思考ルーチンの元ですね。震災の直前はBIGの歴史を続きで書いていました。他の実戦系ライターの方よりは書きやすそうなのは確か。「佐々木、そろそろパチスロの話を再開しようや」という圧は受けていましたよ。主にNIYAさんあたりから(笑)。
3月19日にブログを再開します。ただ、最初に書いたのはリスクを引き受けて東京への電力を送り続けてくれていた福島県への感謝でした。パチスロは電気がなければ始まりません。それを抜きにして、シレッと再開したくなかったのです。うん、オッサンの自分語り、キモい。いや、それくらい何を発信するべきか、表現者ならば誰しも苦悩した時期でした。
そんな中、パチスロ必勝ガイドの山本コーラさんが中心となって、チャリティーイベントが開催されます。SLOT AIDです。この未曾有の大災害を前に媒体の垣根など言っている場合ではありません。当時は、ライター同士が動画メディアなどで共演することは稀で。各編集部はバチバチとライバル心を燃やしておりました。
パチスロ必勝ガイドだけでなく、パチスロ攻略マガジン、パチスロ必勝本。大手誌の有志が一堂に会したのです。インターネットメディアで、それらを経由しなかった私のような面々も末席に加えていただきました。媒体同士の交流が進んだのはこのときからかもしれません。
震災直後は、東京は巣鴨のゲームセンターRISEさんでしたが、2012年3月には仙台のスロゲーセンで開催するなど、いち参加者ながら一定の役割は十二分に果たせたと思っております。
新宿のホール。
あの瞬間「なぜホールで打っていなかったんだろう」という気持ちがなかったと言えば嘘になります。家族が無事だったからそんなことも思える。恵まれた環境だからこそ、仕事のことを考えられることは理解しています。その瞬間にはいなかったけど、現在のホールは眼に焼き付けたい。そう思って自転車で新宿まで向かいました。
リニューアル開店の予定が、長らく延期になってしまったホール。臨時休業をして、店頭に募金を募る&休業の説明をする社員さんを立たせているホール。電車も動いていないのに通常通り(照明や店内BGMなどは消して節電していましたが)営業しているホール。それぞれでした。
そんな事実だけなら、パチンコ・パチスロを知らなくても調査できます。私が見たかったのは打っている人の表情でした。
ほぼ満席でしたが、3月10日以前の景色と違いました。勝ち負けや当たりハズレなどどうでも良い表情です。ショッキングな映像から逃れるようにココに来たんだろうな。そう感じました。こんなときにパチンコなんて不謹慎な。そうではなくて、自分の心を守るために現実逃避としてホールを選んだのでしょう。
被災地のことを思わない人はいない。長らくホールの空気を吸った私だから持てた感想だと思っています。
平時のありがたみ。
誰もがパチスロの話題をすることを躊躇ったあのとき。大半のホールが営業自粛を余儀なくされた昨年のGW。改めて、余暇産業は平時に成り立つものと痛感させられます。
命を落とされた方の中には、パチンコ・パチスロがお好きだった方もいらっしゃったことでしょう。何事もなければいまも楽しく打たれていたかもしれません。我々の遊技する一玉や1Gは、誰かが回したかったものかもしれません。普通の日常においても、その重みを忘れてはならないと改めて思う次第です。
10年は確かに一つの節目かもしれません。ただ、一つの節目にしか過ぎません。被災地の復興は道半ば。私の友人も浪江町への帰還は果たせていません。みんなが笑顔で好きなことを楽しめるその日まで。頑張ろう、東北。頑張ろう、東日本。私は忘れません。忘れてはならないと思っています。
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- 佐々木真
- 代表作:パチスロ攻略ライターの思考ルーチン
裏モノ全盛期に“ギャンブル”としてパチスロを始めたが、技術介入機時代に最適手順を模索するなど“遊技”としての魅力にはまり、履歴書に大きな穴をあけてしまう。2000年よりパチスロ雑誌などで編集兼ライターの活動を開始。現在は、ほぼすべての機種の発表会や取材に参加。法律・規則などの知識をもとに、根幹システムの推測をライフワークとしている。
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