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人生のヘソ~新インタビュー・ウィズ・スロッター
2022.03.10
『ヤングちゃん、寝る?』が話題沸騰中! ヒロシ・ヤングさんのロックに操を立てた生き様。
筆者も四十を超え、自他共認める「オッサン」になっています。若い読者の方にはいまいちピンと来ないかもしれませんが、なにげに「かっこよく歳を取る」というのは大変なもので、大体は「思ってたのと違う」老け方をします。筆者もそう。こんな感じの老け方をするのは全く想定してなかった。それは肉体的にもそうですが、特に精神的な部分により感じる、理想と現実の乖離であります。
チワッスお久しぶり。あしのです!
パチンコ・パチスロ業界に関わる色々な人にお話を聞きながら、その人生の「決断」について深堀りしてゆくインタビュー企画。今回のお相手は筆者が「こうなりてえな」と思っていた理想像に非常に近い大人である「ヒロシ・ヤング」さんです。
もちろんヤングさんは会社の代表ですし演者さんとしても活躍されておるわけで、背景にはめちゃくちゃ苦労もあるはずなのですが、動画などから感じるのは、それを笑い飛ばして面白がる「ユーモアと余裕」です。ヤングさんの出演作をみて同じように感じる方は、結構多いのではないでしょうか。
果たして氏の独特のキャラクタはどこから来ているのか。どのような人生の中で醸成されていったものなのか。今回のインタビューではその辺を掘り下げていきましょう! どうぞ!
ヒロシ・ヤングさんはこんな人! |
映像制作会社「ゼイドンノウ」代表にしてパチンコ情報番組黎明期からスカパー等で活躍し続ける演者さんとしても有名。 YouTubeチャンネル「ヤングちゃん、寝る?」はあっという間に登録者数5万人目前。ぶっ飛んだ企画力と長年映像制作を続けてきた本職ならではの編集力などが話題を集めている。 |
ひとりっ子である事に疑問を感じた幼少期
▲これ、タバコ吸いながらでもいい?
「今日はお忙しい所ありがとうございます!」
「いえいえ。こちらこそ。これタバコ吸いながらでいい?」
「もちろんです。ぼくもいただきます。へへ。……早速なんですけど、ヤングさんって音楽との出会いってどんな感じだったんですか?」
「音楽自体は昔から好きだったと思う。どれくらい好きだったかとかは数値化できないから他の同級生と比べてどうかは分からんけど、でも好きは好きだったよ。楽器に触ったのは吹奏楽部かな……」
「吹奏楽部だったんですね!」
「ああ。あとピアノも習ってた。才能ないからすぐやめたりしてたけど」
「へぇ、ピアノもやってたんだ……。POKKA吉田さんも鍵盤やってましたもんね。みんな結構やってんだなぁ」
「あと鼓笛隊……?」
「鼓笛隊ってあれか、マーチングみたいな……」
「そう。小学校の頃に地元の中学校の吹奏楽部が来て『宇宙戦艦ヤマト』とか演奏してくれてさ」
「カッコいいっすね……!」
「うん。……ファーッ! って、異常に精神が高揚して『ブラスバンドめっちゃカッコいい!』ってなってね。自分もやってみたいと思って鼓笛隊に入って、そこでトランペット吹いたりね。ボーイスカウトでも吹いてたよ」
「ボーイスカウトまで……」
「そう。オレいっぱい習い事やってたから」
「結構アクティブ! あらァ、なんかもっとシニカルに、部屋で世を拗ねながら音楽聴いてたのかと……。ほえーイメージ変わるなぁ。子供の頃ってどんな子だったんですか?」
「寂しがり屋だったね。ひとりっ子であることに疑問を感じてた。オレらが子供だったころは兄弟がいるのが当たり前の時代で、クラスにひとりっ子がオレだけとかだったもん。オレがワガママで自分勝手な行動をすると、クラスの担任とかから『これだからひとりっ子は……』みたいなこと普通に言われてたからね。なんでオレひとりっ子なんやろ……って」
「今だったら先生炎上するやつですね。コンプラ……?」
「ポリコレ……? 知らんけど(笑)」
「(笑)ぼくが小学校の頃とかは既にひとりっ子だらけだったので、そうか、10年違うと状況がだいぶ違うんですねぇ」
「昭和40年代やからな。……とは言え、完全にひとりだったわけじゃなくて、隣の家に同い年の従兄弟がいて、その子と兄弟みたいに育ってるのね。母親の実家が隣だったんよ」
「あー、じゃあ精神的なブラザーみたいなのはいた感じなんですね」
「うん、仲は良かったね。今の時代から考えるとかなり密な家庭環境で……要は隣を含めてジジババが4人いるわけでさ。3世帯だし、ひとりっ子とはいえ大家族みたいな感じだったね。だから、今考えるとむちゃくちゃ可愛がられてた」
「お年玉ガンガンみたいな」
「それはもちろん! そういうのも含めてめちゃくちゃ甘やかされてたんやないかなァ……」
「そうなんですね。……思うんですけど、ヤングさん人生観が独特じゃないですか。学生時代の話とかも『大学は出席しないのがカッコいい』みたいな……」
「破滅願望やろ? それはね、不思議なことに家庭にはルーツがないよね。だってうちはほんっと真面目やで? 実家も親戚も、両親ともに真面目で……。でも、聞いた話では曽祖父がまあまあチャランポランだったらしい。妾(めかけ)が押しかけてきたりとか、田畑を売っちゃったり、町内で一番最初にラジオと自転車買ったとか。そんな話は聞いたことあるかな。だからもしかしたら……」
「ああ、隔世遺伝みたいな」
「……わからんけどね。なんかあるのかもしれない。あとオレは強いものがキライみたいな部分がどうやらずっとあったっぽい。負けてるモンびいきというか。弱いものに無条件で加担するというか、言葉はアレだけど反権力志向的な……結局ブルースが好きとかもそういう事なんだと思う。沖縄に肩入れしたりね」
「ああ! そうだ。たしかに……」
「虐げられてるものに過剰に気持ちを入れてしまう。だからパチンコもたぶんそうなんじゃないかな」
「……ヤングさん、パチンコの事を『オレが愛してやまない、貧乏人の小博打』っていうじゃないですか。あれ聞いたとき、逆説的にすげぇ愛に溢れてるなと思ったんですよね。気持ち入ってるなぁ……と」
「うん。特殊な成り立ち方をしてるからねパチンコって。知れば知るほど好きになったとこはある。こんなの他にないじゃん。奇跡じゃん!って」
「判官びいきじゃないですけど、滅びゆくものとか、虐められてるものの側に立つ……みたいな志向なんですねぇ」
「そう。あとは単純に権力がキライなの。一番キライなのが大した能力もないのに、権力側に立ってるというだけで偉そうにふんぞり返っとるやつ。……これはもう死ぬほどキライ」
「(笑)なるほどなァ。それずっと自覚してきたんですか?」
「いや。50歳くらいよ、自覚したの(笑)」
「割と最近……!」
「どうやらそうかもしれんって気づいてから振り返ると、昔っからずっと根底にあったのかもな……って思う。なんでこうなんやろって思ってたけどね。そう考えると合点が行く部分もある」
「あー、そうか。ロックとかもそうですもんね」
「そうやろ? 異常に肩入れするからな。結局あれも弱者の音楽じゃん。ブルース由来だし、若者の音楽だし──……若者も弱者やからな!」
「うわー、それは忌野清志郎さん刺さりますね!」
「そうそう。あの人だって弱者だし。戦争の犠牲者だったり、みなし子だったり。自分はアウトサイダーだって常に思ってきた人だから。オレも多分そういう部分が刺さったんやろな。……オレ別にふた親揃ってるし、のうのうと愛されて育っとるんだけど」
「なんならめちゃくちゃ甘やかされて……」
「そう(笑)だから、わからないままに、共鳴してたんだと思う」
「共鳴かァ。分かる……。ぼく当時あんまりいなかった片親世帯だし、小さい頃に東京から田舎への引っ越しを経験してるんで、立ち位置の自認が割とアウトサイダー寄りだったんですよね。ずっとそれが心のどっかにあったんで、『RCサクセション』の『よそ者』聴いた時、グッと入ってきましたもん」
「オレ達ィよそ者ォ……やろ?」
「そうですそうです。たまらんなァ……。そういや、ヤングさんって最初に買ったレコードな何でした?」
「子門真人の『およげ!たいやきくん』」
「ああ……あれも、弱者の歌ですね」
「まあな(笑)毎日鉄板で焼かれとるわけやからな。曲調もブルースだし。あれカップリングなぎら健壱さんやで?」
「え、そうなんですか……?」
「そう。数え歌。いっぽんでーもにーんじーん……って」
「あー! 知ってる。あれ『およげ!たいやきくん』のカップリングだったんだ……」
「そうやで。カップリング・ウィズ・なぎらや」
「えー……。何かまたひとつトリビアが入ってきました今。ありがとうございます」
ロックへの目覚めと腐ったミカンの話
▲高校は毎年仮進級という『みなし進級』だったヤング氏
「たいやきくんからロックへ。根底にブルースがあるからそういう意味では正当な道なのか……」
「ロックでいうと、小学校高学年頃に『サザンオールスターズ』と『ツイスト』と『ゴダイゴ』がほぼ同時期に流行ってたのよ。それ聴いて、バンドカッコいいなって思ってた。そっからもちろん『RCサクセション』とか、あと『ビートルズ』にハマって高校2年の頃にバンドをやり始めた感じ」
「最初のパートってどこだったんですか?」
「ボーカルよ。『ローリング・ストーンズ』のコピーやってた。もうローリング・ストーンズしかない! って。ひたすらやってた」
「ミック・ジャガー! いいっすねぇ。……ライブとかやってました?」
「やってた。海水浴場とか……。あと高校2年の頃に、ちょうどライブハウスが出来たの。地元に」
「ライブハウス……。あれ、ヤングさん地元むちゃくちゃ田舎って言ってませんでしたっけ。ライブハウスがあるって、それ田舎なんすかね……」
「田舎だよ……。沖縄に『紫』と『コンディショングリーン』ってバンドがあってさ。ちょうどベトナム戦争のときで、明日死ぬかも分からん兵士たちが踊り狂って金使うみたいなハードロックバンドなんやけど、ある時その『紫』が解散してね。末期のメンバーの人がちょうどオレの地元の人でさ。それで帰ってきて作ったのがそのライブハウスなわけ。だからその箱でやっとるヤツみんなゴリッゴリのハードロックだったの」
「あら。その中でローリング・ストーンズ……」
「そう。オレらとは全然ウマが合わんくて……。ライブ出てた心の中ではバカにしとったね。クソがッ! って」
「(笑)たしかにヤングさん『ディープ・パープル』とかキライですよね」
「ちがうちがう。パープルがキライなんじゃなくて、ハードロックがダサイいと思ってるのよ。リズムがハネてないから。ジャストのエイトを刻んでるようなバンドはダセェ……って。これも本能的にやで? そういうのはあんまり黒人音楽の影響を受けてないから。でも『レッド・ツェッペリン』は好きやったよ」
「あーツェッペリンいいなぁ……。ジョン・ボーナムのドラムのフットペダルがスタジオ音源でもすげーキコキコいってるんですよね。油差してねぇとことかすげーカッコいいなぁとか思ってました……。そういや、学校では軽音部とかロック部とか入ってなかったんですか?」
「いや、フォーク同好会作った。ロックンロール同好会じゃ学校から駄目って言われるだろうから、方便でフォーク部って言い張って……」
「フォークはOKなんですね(笑)」
「大丈夫だった。そういうのを勝手に作って、学校から予算をせしめてた」
「何なんですかねあれ。ぼくも高校の頃ギター部無かったんですよ。でもマンドリン部はあって。だからぼくマンドリン部でした」
「ほら、反逆の香りがしないじゃん。体制を打破する感じがしないもんマンドリンは」
「しかもマンドリン部ですってやったら女子が死ぬほど入ってきましたね」
「あー……な。大事やな。それも」
「超楽しかったッス。……じゃあ話戻りますけど、学生時代は音楽漬けだったと。でものちに早稲田に入るわけなので、勉強は出来たんですよね?」
「全然! 高校の頃はチャランポランやで。オレ高校毎年『仮進級』やからな?」
「仮進級って制度をよく分かってないんですけど、それって……」
「制度っていうか、要するに1年から2年になる時に、成績が悪すぎて『お前を正式な2年生にするわけにはいかないから、仮で進級させてやる』っていう感じの……」
「みなし機みたいな感じですね」
「そうそう。さしあたって2年にはしてやるけど、ホントの2年じゃねぇからと。で、4月と5月に試験があって、それで合格したらほんとの2年になれるんだけど、オレそれに落ちて。次の試験が2月だったのよ」
「2年って……翌年の2月か。もうすぐで高3っていうタイミングの2月ですよね。そこまで『みなし2年生』だったんですか」
「そう(笑)どういう事? ってなるじゃん。これ落ちたらどうなんの? って。もっかい高1やんのか高2やんのかも分からんし。前例が無いから誰も知らない。先生もそんな生徒見たこと無いから。で、その2月の試験は校長室で受ける事になって」
「校長室……!」
「そう。その時に、一緒にテスト受けたのが、オレと金田なのよ」
「かねしゃんさん!」
(※金田さん:ゼイドンノウの社員さん。ヤングさんのマネージャー的存在)
「実はかねしゃんの事は少年野球を通じて小学生の頃から知ってたのよ。学校は別やったけどな。それが中学の頃にボーイスカウトのジャンボリー(※大会みたいなの)に参加したらそこにおって。あ、アイツどこどこ中のエースのやつや……! って。向こうももちろんオレの事知ってるじゃん。それで一週間共同生活する間に、めちゃくちゃ仲良くなってたのね」
「えー……知らなかった! そんな昔からの付き合いなんだ……」
「お互い少年野球とボーイスカウトの姿しか知らない中で高校の受験の時にまたばったり見かけて。そこが地元の進学校だったんだけど、なんでお前がおんねんと。お互い『お前ごときが受かるわけ無いやろ』って思ってたけど、結局ふたりとも受かって、同じクラスになったの」
「へー! そんなエピソードが……」
「で、そのクラスがね。オレが……なんていうの、クラスの中の『勉学に励まないといけない』みたいなムードをめちゃくちゃにして、全体の成績がすげー悪くなったの」
「それアレじゃないですか。腐ったみかん的な……」
「うん。グワ~広げてやったわ。いっぱい腐らしてやった。さっきの仮進級の話も、最終的にウチのクラスから11人出て……。担任が『これはあまりにもヤベえぞ』ってなったらしく、夏休みに、オレに内緒でウチの両親に相談しにきてたというのが後に判明して……。お宅の息子さんに本当に手を焼いています、どうしていいか私も分からないです……みたいな。そういうのを言われるくらい、たぶんむちゃくちゃしてた」
「おお……。ちょっと素朴な疑問なんですけど、なんでそんな勉強しなかったんですか?」
「勉強するやつはアホだと思ってたの」
「(笑)」
「ヤンキーとかではなかったのよ。ただ、ルールに従って勉強してるやつアホじゃね? みたいなムードを、撒き散らしながら歩いとったのよ」
「それで早稲田よォ受かりましたね」
「まー、浪人したけどね」
「あー、浪人中にガッツリ勉強したんですね」
「パチンコばっかしてたけどねぇ……」
「えー。なんでそれで受かるんだ。地頭がいいって事ですかね」
「そうね。地頭がねぇ……いいんだろうねぇ……」
「(笑)」
ひたすらインプットを続けた暗黒の大学時代
▲ヤング氏の目標
「ヤングさんの大学生活については、ぼくちょっと別件で知ってるんでキュッとまとめていいですか?」
「どうぞ……」
「色々受けた中でたまたま受かった早稲田に決めて上京して、世の中に呪詛の言葉を吐きながらひたすらパチンコ打ってたら1年目の前期で留年が確定して、卒業までに6年かかったと」
「うん。合ってる」
「(笑)それで、意外と知らないなと思ったのが、パチンコとの出会いなんですよね。高校の時ですか?」
「ええと、初めて営業中のホールに行ったのは14歳の時。ヤンキーの友達とかとみんなで酒飲んで、その勢いでオラ行ったれ! みたいな。5~6人で。もしかしたら学生服だったかもしれん」
「色々おかしい(笑)」
「それで、オレじゃんけんに負けて両替する係になっちゃって。カウンターの所に行って金入れて、こうやって手のひらでジャラジャラって。こうするやつ」
「わかりますわかります。一番止められる所ですよね」
「そう。その時は別に怒られなくて、ちゃんと借りた玉で『じゃん球』を打った記憶がある」
「じゃん球……! ホールデビューがじゃん球だったんだ……! へぇ……!」
「うん。それが初めてのホール。でもそれで日常的に行くようになったわけじゃなくて、その時は一回こっきりで終わった感じ。ハマったのは高2の夏からかな」
「お……。高2……。バンド始めた時と同じ年だ」
「そうね。バンドは高2の春から」
「あー、短期間で一気に大人の階段をタンタンッと登ったわけですね」
「そうね。当時は栄華ちゃんの写真にもよく出てくる、倉吉の『銀河』っていうホールで、『ゼロタイガー』とか打ってた」
「よく聞くやつだ。ゼロタイガー……。めっちゃ売れたヤツですよね」
「そう。平和の元祖羽根物にして大ヒット機種。セルも6個くらいある。それと、三共の『キングスター』とかね。あの辺もよく遊んでた」
「当時は勝ってました?」
「負けてたよ。でも200円ずつとかで遊んでたからね。たかが知れてるけど」
「バイトとかってしてたんですか?」
「してた。建設現場で単発のバイトしたり、あと勝手に山に入ってカブトムシのツガイを何百匹って捕まえてきてそのまま売るっていう……」
「密猟……!(笑)」
「オス70円、メス30円とか激安販売してたんだけど、大量に捕まえるからそれでも5万円になったりしてたよ。それでパチンコも打つけど、やっぱりレコード買うからね。蒐集っていうよりも、当時は聴いたことのない音楽に飢えてたので、単純に『聴きたいから一杯買ってた』ね」
「ここにあるレコードの中に当時買ったレコードとかありますか?」
「一杯ある一杯ある。何百枚ってあるよ」
▲思い出のレコードや本を探すヤング氏
「なんとなくなんですけど、ヤングさん学力とかそいう方向じゃなくて、自分が興味のあるもんを極めないとイヤだって感じの性分なんですかねぇ」
「取り憑かれとったんやと思う。だって興味があるものの幅が狭かったからね」
「音楽と、あと本ですよねヤングさん」
「映画とかもそうやけど、本も好き。浪人時代から早稲田入って4年位まで……5年間くらいはひたすら家で本を読んで音楽を聴いとったからね」
「あー……でもその5年間って、すげー大事ですよね。人生の中で」
「今思えばね。花屋でバイトしてたけど、バイト中も『今日帰ったら何のレコード聴こうかな』とか『何の本読もうかな』って。ずーっと考えてた。アウトプットもしたかったんだけどね。その場所もなく。インプットだけずっとしてた」
「この時はバンドは……?」
「組みたかったけど組めなくて。だからインプットだけ。しかも世の中バブルやし。みんなキラキラ楽しそうで輝いとるのよ。それ見てクソがッ……って」
「(笑)」
「当時はホント……暗黒時代やなぁ今思うと」
「いやぁ、でもぼくは人生に必要なインプット期間だと思いますそれ。……その頃はパチンコも打ち続けてたんですよね」
「打ってた。当時は開放台狙いをしてたね。つまり一回出て打ち止めになってる台を、店員さんに『これ打ちたいです』って言って開放して貰って打つみたいな。一回出とる実績があるわけやから。普通に打つよりは勝率が高いわけよ。すぐ当たる時もあるし3時間くらいかかる事もあるし……。運良く一日に3台くらいまた打ち止めにしてやると、もう、宇宙を制覇したような気分になってたね」
「全能感(笑)」
「そう。全能感。世界はオレの物みたいな。2万ちょっとしか勝っとらんのやけど(笑) それで大学6年の頃くらいから今度はモーニング狙いになって、そっからプロになっていくわけで。だからパチンコは途切れずやってたね」
パチプロから雑誌編集へ。ワンショットマガジンってなんだ……!
▲1冊しか発行してないから、ワンショットマガジン。かっこいいでしょ
「ヤングさん、大学時代から『就職』はしないって決めてたんですよね」
「それは決めてた。するかボケッ! て思ってたね」
「で、大学卒業後パチプロになられると。これ何年間くらいやってたんですか?」
「5年かな」
「結構長い。開店プロですよね」
「そう。基本的に情報を集めて並ぶのが仕事だけど、台が取れたらその日の仕事の大半は終わりじゃん。その日に何やるかがだいたい見えてる。なので後半は打ちながら本読んだり、CDウォークマン持っていって音楽聴いたり……」
「あー、博打じゃなくなっちゃいますねぇ」
「そう。作業化していくんだよね。ただハンドル握って業務をこなす感じ。そうなるとどんどん遠くの店に行かなくなるし、そもそもホールにも行かなくなっちゃう。家賃払わなきゃ……ってなってからようやく仕事に出る感じの……要するにクソプロよ」
「クソプロ……!(笑)」
「カネへの執着も大してない、頑張らないプロだから。それでも食えてたからいい時代だったよね。夜中に友達に呼び出されてファミレス行って、酒もよォ飲まんのに朝まで付き合ってたりしてたからな。だって次の日の開店なんか別に行かんでもいいわけでさ。全く頑張ってなかった」
「当時って月収どれくらいでした?」
「ピンキリやで? たまたま頑張ってるプロに『やろうよ』みたいな感じで気に入られて、誘ってもらってめちゃくちゃ頑張ってた時もあってね。その人は聡いしパチンコも上手いし行動力もあるんだけど、一緒にやったクタクタになるんよ。その時で月25日稼働で120万とか……」
「うわ、すっご……」
「時期も良かったけどね。『ミサイル』とか『ギンパラ』とかさ。液晶の『スーパーコンビ』とか。打つ台には困らなかった。他にも100万以上稼いだ月は何回かあるけど、クタクタになるから『ムリムリ……』って。オレ30万あればいいですって思ったもん。家賃払ってレコード買うだけあればいいです……って」
「でも頑張らずに30万は行くんですね……。今の若いパチプロの子、なんか大変だなぁって思いませんか」
「……やっぱ時給の低さだよね。かなりハードだと思う。で、打ち子とかって結局バイトじゃない。将来を見据えたら圧倒的に不利なんですよ。オレらの時も不利は一緒なんだけど、それをカバーするだけの額の良さがあったからやってたというのはあると思う。動機は同じだと思うんよ。オレらの時も今の若い人も、他にやることがないからやっとるわけで。でも今は『額』っていう保障が外れた上でもそれをやらなきゃいけない人がいるというのに、今の世の中の地獄を感じる」
「今だったらやんないすか」
「今若かったらってこと? うん、絶対やんないと思う。そして今のパチンコに魅力を感じることもないかもしれない。大崎さんともよく言うのが、パチンコの胡散臭い所……魑魅魍魎感、法のあり方と運用のされ方の乖離というか、あからさまなギャップに『なんだこれ!』って激しく惹かれたわけで」
「(笑)」
「世の中の矛盾をまるごと体現しとるから。でも、これが現実なわけでね。この部分に『面白れぇじゃん!』ってなったの。オレがパチンコに魅入られからずっとこの業界はクリーンへの道を歩み続けてるわけで、もちろん世の中が『曖昧なもの』を許さない風潮になっているから仕方ないし、その事自体が既に地獄なんだけど、オレとしてはずっと『つまんなくなっていってく様を見続けている』のね。その『つまんなくなっていく様を見続ける』のも面白くはあるんだけど、取っ掛かりとしてはなぁ……。今出会ったとしても多分そんなに激しく惹かれる事はないだろうなぁと思う」
「まーたしかに。パチスロなんか特に、今は新規顧客開拓がキツイだろうなァと思います。地獄ですねほんと。……さて、えー、頑張らないプロだったヤングさんが、この辺で雑誌入りするわけですね」
「それもね、たまたまやで。たまたま誘われたの。ガイドの最初期からのライターの方がいて、その人は開店プロにも関係してるんだけど、そのグループがね、プロとしてシンドくなってきたと。それで今思うとバッカだなァと思うけど、パチンコ雑誌を作ろうとしたの」
「それは、商業のほうですか? 同人的なやつじゃなくて」
「商業商業。ガイド関係の人だから、出版にあたって色々ツテもあると。とある版元(出版社)を口説いて、ウチが中身を作るんで出版しましょうみたいな。でその時、その人の声掛けに応じて集まったメンバーが、ほぼガイドの創刊メンバーだったの。その時に兵隊が足りんっつって、フラフラしとるオレにも声が掛かったのね」
「おー……。なんじゃその雑誌……。凄いすね」
「オレも丁度その頃開店プロやりながら『これいつまでやるんだろう……』って思ってた時期だったから。『やるやる』って。それで雑誌をやることになった感じやな」
「あら、あんなに『働くのはイヤだ』と思ってたのに……!」
「これタイミングもあるんよ。当時ミニコミは既に作ってたんだけど、丁度仲の良い奴らと『音楽雑誌作りたい』って話をしててさ。自分たちが良いと思うアーティストを紹介しつつ評論もそこでやろうっつってね。だって既存のメディアはクソだと思ってたから。『ロッキング・オン』に喧嘩売ろうぜって思ってたの。自分たちにはこの音楽はこう聴こえる……要はファンの手にクリティック(批評)を取り戻したいと思ってて、『編集の勉強をしたいな』と思ってた時期なのよ。だからタイミングが凄い良かった」
「それ、ヤングさんがよく言う『呼ばれとる』ってヤツですね」
「そうかもしれん。で、その時出版されたのが『パチンコトップ』っていう雑誌で、諸々の都合によりワンショットマガジンで終わっちゃったの。一冊しか出なかった」
「あらら……ワンショットマガジンっていうんや一冊で終わるの……」
「かっこええやろ?(笑) オレも誰かから教えてもらってからずっと使ってる」
「一発屋みたいな意味か……」
「一発屋やったら一発当てとるけど、最初のはただ出ただけで終わったな……。それでまた開店プロに戻って……」
「え、戻るんですね!」
「戻った。もともと勉強のためにやろうとしてて、本格的に仕事にしようと思ってなかったしな。そっから一年くらいしてまたご縁があって、日本最初のパチンコ雑誌である『パチンコマル秘情報』を作ってる編プロに声を掛けてもらって、そこで新しい雑誌を作る事になったの。それで出たのが『パチンコ爆勝KING』っていう凄い名前の雑誌で」
「うわあ! どうかしてますねその名前……!」
「頭悪そうな名前やろ? 攻略・必勝じゃ足りんからな。爆勝(ばくがち)や」
「(笑)それはワンショットでは無かったと」
「うん。それは半年以上は続いた。でも一年はもたなかったかも知れない」
「うわー、短命だなぁ……」
「そう。で、そのときオレがいた編プロの営業がすぐ新しい版元を捕まえてきて、また新しい雑誌を作りましょうと」
「バキバキに創刊しますね!」
「編プロはな。それが仕事やし。それで営業の人が取ってきた版元から出たのが『必勝パチンコWEB』っていう……」
「あー、それ知ってます。世界初のweb連動パチンコ雑誌」
「そう。ホームページにアクセスするためのパスワードがスクラッチになっとるだけやけどな。そこで『パチンコヘンドリックス来日!』っつって馬場の公園でホー助くん燃やしたりしてたわ」
(※ジミ・ヘンドリックスはギターを燃やすパフォーマンスでも有名)
「フリーダムが過ぎますなぁそれ(笑) たしかこの時らへんで『ヒロシ・ヤング』になるんですよね」
「そう。その時の編プロで、オレ給料40万貰ってたんよ。かなり吹っかけたつもりやったんやけど何か『分かりました』って言われてさ。ただ『パチンコ爆勝KING』が廃刊になって、『必勝パチンコWEB』を作る段階で『ちょっと40万はキツイです』って値下げ交渉が入ったのよ。『ですよね』って思った」
「そりゃそうだ!(笑)」
「うん(笑)それで、『つきましては別の仕事も込みで40万にしていただけると』みたいな感じになって、その時に紹介してもらったのが『スカパーのパチンコ番組の演者』だったのよ。これが2000年で、『BIGチャンネル』の立ち上げの時ね。この時に芸名つけろって言われて付けた名前が『ヒロシ・ヤング』だったの」
(※『BIGチャンネル』は『パチンコ★パチスロTV!(パチテレ)』の前身)
「それまでのペンネームってなんだったんですか」
「ボ・地鶏とか……」
「(爆笑)」
(※伝説のギタリストにボ・ディドリーという人がいる)
「あと大関プロとか。ヒロシ・ヤングはニール・ヤングからきてる」
「しかし、よくスカパー出るのOKしましたね……。カメラの前でしゃべるわけでしょう。いやぁ、そりゃあなかなか……」
「誰も観ねぇと思ってたからね。あとカメラの前で話すっていう経験は当時芸能人でもないと誰もやったこと無いから、人に話す時にネタになると思ったんよね。あと当時オレ、友達の紹介で地上波の番組で放送作家をやる事になって、それで『放送』というのに興味が出てきた時期でもあってさ。それで出演もOKしたというのもあるかもしれない」
「ヤングちゃん、寝る?」爆誕!
「そこからヤングさんはバラエティの作り方を学んで、『制作』の方に行くわけですよね。それでパチンコ業界と映像業界で二足のわらじを履きつつ、2005年に映像制作会社『ゼイドンノウ』が誕生。今年で17年目と」
「うん。そう。まとめ始めたな」
「はい。……しかし17年会社を続けるってなかなか凄いですよね」
「今の形になってからは17年も経ってないな。最初は必要に迫られて法人化しただけで、名義だけ会社みたいな。そっからハコ作って人がだんだん集まってきて……」
「いやーでも凄いですよ。ぼくなんか個人事業でもいつ廃業になるかビクビクしてますもん。たぶん病気して何週間か仕事止めたらその時点でゲームオーバーだと思ってますもん」
「お互い生き残っていこうぜ……」
「ウス! がんばります……! で、ちょっと今回、ネタとしては『ヤングちゃん、寝る?』について絶対訊かないといかんなと思ってまして。ヤングさん、これ始めるのすげー遅かったじゃないですか。映像制作をやってるなら機材もノウハウもあるわけで、YouTube始める敷居は結構低めに見えるんですよね。でもなかなかやらなかったのは……」
「まずオレ無類のネット嫌いやから。もう既にあるものはしょうがないけども、匿名の文化というのがそもそも許せないのよね。呪いの言葉って本来は自分に返ってくるべきじゃない? でも実態がない人が発してる言葉って返りようがない。何の担保もなしに人を呪ってるわけで、それはおかしな話なんですよ。しかしネットはそれを是としている。これは今人類が犯してる大きな間違いだと思ってるのね」
「たしかに。ヤングさんTwitterやってないですもんね。一応アカウントはあるけど」
「やってない。それと同じで、YouTubeも最初は自分の中での抵抗がすごかった。あと地上波とかの番組制作をやってるからこそ、やり方が分からんってのもあった。ゼロからやるのともちょっと違う話なんよ。番組の体裁であるとか考えたとき、まず一歩目の踏み出し方が分からん。普通の人だと『いや始めたらいいじゃん』って思うかもしれんけど、ずっとやってる分、そこがウ~ってなってたの。でウ~ってなってるうちに時間が過ぎた」
「なるほど……プロだからこそ気楽にやるぞ! みたいな感じにはならんのですね」
「そう。何年も前から『やりましょうよ!』って言われてたんだけどね。例えばスカパーとかで、自分は面白いと思って作った企画とかが、いまいちハネない時とかあるじゃん。『これをYouTubeでやりましょうよ』っていうのは、ずーッと言われてた」
「でもそれに抵抗し続け……」
「そう。でもある時ね、たしかにそうも言ってられんよなァ、そのうちやらなあかんなァ……って思ってたところで、こう言っちゃ何やけど、背中を押されたのは大崎さんがYouTubeで始めた事やと思う」
「『まんぱつ』ですね!」
「うん。それ見た時『あ、やんのや!』みたいな。オレら関係性がちょっと特殊で戦略的な話は一切しないから。相談とか連絡とかも当然ないし。全く知らんかった」
「それ実際に番組観た時どう思いました?」
「オレ最初観てなかったのよ。娯楽としてYouTubeを観るという習慣が未だに無いくらいやから。業務で観とかないかんヤツとかは観るけど、それ以外はまず観ない。だけど背中を押されたというのは、社員にね、火が付いたわけですよ。大崎さんのYouTubeチャンネルで」
「(笑)」
「ほっら見ろ……どうすんすか……って。もう大崎さん始めたじゃないですか……みたいな。そこでオレは退路を絶たれるわけよ。やりたくてやったというより、『やれ』って言われて崖から突き落とされた感じ」
「あー、第0話そんな感じでしたね」
「やろ? 『もう今からやるからね』みたいな感じで始まっとるやつ。あれほんとそんな感じやからね」
「あれって台本あったんですか?」
「ないよ。ないない。何やるかも知らんし。偽りはない感じ。ただ、やるならオレをおもちゃにしろって一点だけは言ってた」
「『なにやんの』っていうヤングさんの問いかけに、市岡さん言ってましたもんね。『社長をおもちゃにした動画を公開します』って」
(※市岡さん:ゼイドンノウの社員さん。『ヤングちゃん、寝る?』のディレクター)
「有限実行やな。だいたいその通りに来てるで。『ヤングちゃん、寝る?』ってスタッフ主導みたいな側面がものすごく強い」
「業を煮やしたスタッフが詳しい内容を社長に知らせず撮り始めたと……」
「そう。逆にそれで良かったと思うんよ。オレが翻弄されるみたいな」
「企画によっては超やりたくなさそうな時ありますよねヤングさん」
「あるあるある。でもホントいうと、その辺含めて今までの番組のやり方とは真逆で、他は裏でオレが細かく見てるのよ。準備の段階から不安要素を潰していったり、出演者としてもオレがツッコんで回したり、裏と表で見てる。なのでオレは自分をツッコミとか進行の方だと勝手に思ってたんだけど、どうやら弄ばれて、アワアワしてるほうがいいよって最近色んな人に言われて。なんかもう、なんでもええかって思ってきた(笑)」
「ウケる(笑)ディスクアップのアプリやってる所とか最高でしたね」
「あんなもんなぁ。騙し討ちやからな完全に。なんか毎回ちっちゃなドッキリみたいなの入れてくるからな。まあでも、それはそれでいいかなって思ってる」
「やっぱテレビとYouTubeって全然違います?」
「全く違う。YouTubeの場合視聴者数が収益にダイレクトに結びつくから数をアップしないといけないじゃん。うちはいま週4でやってるけど、実際に撮って繋いでってやってるのは社員やから。あの子らのモチベーションを切らさないのがとにかく大事。番組の場合は納期もあるし。やんなきゃってなるんだけど、YouTubeはテンションとかモチベーションが必要やから、オレが口出しするよりは『もう、やりたいようにどうぞ』って。そこはもう明らかに変わった」
「だからかなぁ、番組の雰囲気めちゃくちゃいいですよね」
「うん。そこ大事だと思う。ほんとは言いたいよ? アレやりたいコレやりたいって時に、お前そんなん回らへんやろって。女子ライターで野球チーム作るとか? いや気ィ狂っとるやろってさぁ(笑)」
「イカれてますよね」
「狂気の沙汰かと思ったもん。でもお前らはそれをやりたいんやろ? って。作る本人らがやりたいっていうなら、それが一番やしなぁ……」
「いままでボツにした企画とかないんですか? 流石にこれは駄目やろって」
「……あるけど言えんな!(笑)」
「(笑)」
「あ、強いて言うなら先日、水島新司先生が亡くなった時に緊急追悼企画やりましょうって言われたけどそれは無理やぞって諌めた。パチスロの『ドカベン』3回くらいしか打ってないし」
「あーそれは厳しい。でも強いてでそれなら、ほぼ全部OKしてるって感じですね……」
「まー、だいたいね。よっぽどじゃない限りやってる。というよりやらされてる」
「(笑)そしたらですね、『ヤングちゃん、寝る?』の今後についてとか、なんかありますか」
「なんもない。けど、やりたい事でいうと、『柱』になる企画をもっと沢山作りたいなとは思ってる。ちょっと語弊があるかもしれないけど、楽に作れる面白い『柱』ね。それには数を打って当てていかないといけない。反応を見ながらね。これ行けるわっていうのを……。そうしないと続けていくのがシンドいよね。とりあえず続けていくのがまず目標やから」
「『柱』か……。作ろうと思ってできるもんでもなさそうですしね」
「本来なら予算と時間をじっくりかけて試行錯誤していかないといけないんだけど、他の番組のルーティンとかをこなしながらになると厳しい部分もあるよね。やりたいのでいうと『わーさん』のサバイバルみたいな企画もやりたいんだけども」
「あー、なるほど……。大変だなー確かにそれは」
「あと、柱を作るにしても『ヤングちゃん、寝る?』はマス向けにしちゃ駄目だと思ってるのよ。登録者数を増やすにしても『村』のまま大きくしていかないといけない。うちは『村』だからこそイイネも多いしアンチも少ない。仲間みたいな感じなんだよね、視聴者も。まだ仲間は沢山いるはずなので、このまま大きくしていきたいというのはある。こんな感じ好きな人はまだおるやろと、オレは信じてる」
「ぼくもそう思います。まだ居ますよ全然……。ではそういう、まだ『ヤングちゃん、寝る?』を観たことない人に、オススメの回はありますか?」
「前から言ってるけど『オカーデン』は面白いと思う。オレは好き」
「あれは確かに。バカバカしくて最高ですねぇ。リンク貼っときます!」
「でもあれ収録一番疲れるからな」
「確かに。時間もかかりますしねアレ。でも確かに面白いですね!」
ヤングさんの人生における「決断」と本日のまとめ!
▲麻雀仲間でもあるヤング氏と筆者
「さて。ヤングさん。時間もそろそろアレなので、最後にですね、ちょっとまた人生についての話になるんですけど……、いままでを振り返って、一番デカい『決断』とか『選択』ってなんだと思いますか」
「就職しなかったこと!」
「おお……。ターニングポイント! もし就職してたらどうなってたと思います?」
「ンー。辞めてんじゃない? でもねぇ、そのタラレバないんだよね。だってどう考えても無理だから。なので褒めてあげたいよね。無理だと判断して、実際にそうしなかった若かりし頃の自分を。だって就職しないってことは野垂れ死ぬのと隣合わせやからな。するほうが自然な、楽な決断ではあるのよ。だって当時バブルやで。でもそうしなかった。ロックに操を立てた」
「ロックに操を立てた生き方……。やっぱ根底には体制側に行きたくないみたいなポリシーがあったんですかね」
「っていうとカッコよくなりすぎるんやけど、単純に『……無理やろ』って思ってた。そういう組織に組み込まれて働くというのも無理だと思ったし、もっと些末な事でいうと、毎朝決まった時間に起きてネクタイ締めて満員電車に乗るっていうのも無理やろと。どうせ無理なんやから、そっちに行かない決断をしたというのは良かった」
「当時はしかも、24時間戦えますか? の時ですよね」
「まさに。戦えるかバカ! って思ってた。トキニンザブロウがなぁ」
「(笑)そしたらですね、最後に……『ヤングちゃん、寝る?』ファンの方がいいのかな。ヤングさんのファンでもいいか。とにかくファンの方向けに、一言お願いします」
「えー……。いつもありがとうございます……やな」
「ありがとうございました……!」
……以上がヒロシ・ヤングさんへのインタビューだ。人生の決断として挙げられたのは「就職しなかった事」。インタビュー中は「朝起きるのが辛い」「満員電車がイヤ」みたいな理由で仰ってましたが、こうやって改めて読むと、その道はヤングさんの人生観がそのまま現れた選択だと思う。
何か型にはまって、決まった道をゆく。敷かれたレールの上を進むというのが、ヤングさんはおそらく「出来ない」人なのだろう。そしてそれは全然ネガティブな意味じゃなくて、レールがない、薄氷の上を歩くのに人生の醍醐味を感じる人というのは、自分が知る限りでも結構多くいる。そしてヤングさんの場合、それにプラスして「ロック的な生き方」という、己に立てた誓いというか、操みたいなのがやっぱりあると思う。
人とは違う事を恐れず。何ならそれを誇りながら。当たり前にはみ出しながら生きてきたからこそ、ヤングさんが生み出す番組の数々の、独特な面白さがあるんじゃないだろうか。
お忙しい中ご協力頂いたヤングさん、ありがとうございました。
というわけで今回はここまで! また次回をお楽しみ……!
※本インタビューは2022年2月16日に実施いたしました。
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- あしの
- 代表作:インタビュー・ウィズ・スロッター(稀にパチンカー)
あしのマスクの中の人。インタビューウィズスロッター連載中。元『セブンラッシュ』『ニコナナ』『ギャンブルジャーナル』ライター。今は『ナナテイ』『ななプレス』でも書いてます。
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