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【ネタ】エヴォタヌ(501-525年)
【ネタ】エヴォタヌ(501-525年)
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ebotanさん
- 投稿日:2019/05/27 23:42
ebotanです。
突然ですが「エヴォタヌ」という人物をご存知でしょうか。
彼は501年から525年まで活躍したスロッタ騎士団におけるヨーヴン階級の戦士です。
その生涯に幕が落とされるまでに自身の兵を計5600名も失うという記録を残しました。
今回はそんな彼について語り継がれている代表的なエピソードについてまとめてみました。
かのツウィッター文書に記載された内容と被っている内容もありますがご了承ください。
◆ピーア・クマテン・チョ包囲戦
◆ゾロムェ争乱
◆スタンドリバー争乱
以上です。
もちろん他にもたくさんエピソードがありますが、全ては書ききれませんのでご容赦ください。
他、エヴォタヌ以外のスロッタ騎士団員のエピソード等ござましたらご教示くださいませ。
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ebotanさんの
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このコラムへのコメント(6 件)
盟友の話をちゃんと聞いていれば違う未来があったんでしょうね…他人事とは思えません。
ウォルト王国は入国料が高かったらしいですね。
人間と獣人が共存していたという逸話もありました。
1歳で脇毛生やしてたらしいので4歳ならもうおっさんです。
525年
盟友エヴォタヌとともに、スタンドリバー争乱に参加。
百七十八聖理権を行使し、倭国出身ナヲエマウェダ混合軍ギフゥドゥドゥに宣戦布告。
他国の名将との激戦が予想されたが、意外なことに被害は少なく兵120名ほどの被害のみでこれを退ける。
エイ王国とテヌジョオ平原で激戦の渦中にあった盟友エヴォタヌに使いを出し、無謀な戦と忠告するも「光を!マン・マイを!」と士気高く、結果止められなかった。
その後戦場を移しパティン公国のドーラ・キューア公爵女史や、シンフォギヴゥア伯爵および伯爵の妻カン・ゼンセーイ・ブツフィーネとの迎撃戦を展開。
戦場に駆けつけた義勇兵が一時は2000名を超えることもあったが統率が取れず、半数の1000名を残し、辛くもこれに勝利する。
後に盟友エヴォタヌは、「カン・ゼンセーイ・ブツフィーネ打倒後の天運を持たざる者の蛮勇であった。」と述べている。
525年
妻の反対を押し切り、ディスカップ軍の若き猛将シロパ・ネルを頭から叩く為、キンジョーノ国へ夜襲を仕掛ける。
兵は1000名と乏しかったものの、オハシンディの協力により大勝を掴む。
戻りの途中ヨサゴー・ジャグの襲撃を受けるも結果2200名の兵を携え王国への凱旋となった。
しかしながら妻の怒りを浴び、後日ウォルト王国への出張費用を全負担する羽目になったのは言うまでも無い。