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【投稿し直し】おもいでのぱちすろ屋
【投稿し直し】おもいでのぱちすろ屋
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皮下脂肪さん
- 投稿日:2019/10/13 00:40
歳を重ねるにつれ増え続ける皮下脂肪。
確かに僕は運動などしないが、決して暴飲暴食をしているわけではない。
昔は大して運動をしなくとも皮下脂肪へと変換されることはほとんど無かったのだが、
25才を越えた辺りだろうか。ご飯が僕にこう囁くのだ。
『皮下脂肪に昇格する瞬間がたまらねぇぜ!!』
そんな増え続ける僕の皮下脂肪と反して、減少の一途を辿っているものがある。
そう、パチスロ屋だ(極めて雑な導入)。
今回のコラムのテーマは【思い出のパチスロ屋】。
僕の思い出のパチスロ屋は、時代の波に抗えず軒並み潰れてしまっている。
しかし潰れてしまったから思い出が色褪せるかというとそんなこともない。むしろ潰れた跡地(正確にはコーヒー屋)を眺めると、強烈に当時の思い出が甦ってくる。
そんなパチスロ跡地のコーヒー屋でクソマズいコーヒーを啜りながら、なんのことない思い出をダラダラとコラムります(業界用語)。
~結構昔~
友人「パチスロ打ってくるわ!!」
僕「 あ ほ く さ 」
化学系の大学には必ず『研究室配属』という囚人生活が1年以上付いてくる。
僕が通っていた大学も例に漏れず研究室生活がついてきたのですが、
これが想像していた以上にサボれる。
というのも、化学反応というものはカレーの調理とほぼ同じであり、材料を放り込んで加熱して出来上がり。
そして場合によっては加熱時間が8時間とか72時間とかそんな感じなので、10個くらい仕込んだあとは、割とダラダラするだけなのです。楽勝ですね。
ではその間何をするか。
僕の周りには2つのタイプがいました。
1つはその時間も調べものや他の実験の仕込みなどを行う生真面目ちゃんタイプ。
そしてもう1つはソシャゲやパチスロで時間を潰すタイプ。
僕は当然のごとく前者...
だった。過去形。なんだか自己嫌悪。アネモネ好きです。
当時の僕は、「何をするにも淡々とこなす」という人間でした。
他人の期待を満たすことだけに喜びを覚え、自分の欲しいものは無い空っぽの人間。
もちろん、当時はそのように思っていなかったのですが、価値観の変わった今になってやっとそう感じることができます。
その僕の価値観を変えてくれたのがパチスロであり、そしてあるパチスロ屋の空間でした。
きっかけは単純で、毎回パチ屋帰りに景品のお菓子をくれる友達からの一言。「景品を選びにくれば?」
その言葉に釣られ、初めてパチ屋というものへ入店。なんといっても友達の景品選びのセンスは地に落ちていましたからね。一度パチ屋景品のラインナップを把握しておきたかったと言うのがこの時の本音です。
さておき、初めてパチ屋へ入店する人の感想の大半は、おそらく「クソうるさい」でしょう。
しかし僕は正直に言って感動しました。
入っていきなり僕を迎え入れたのは、見渡す限り綺麗な画面付きのパチスロ機。
パチスロに画面が付いているなんて想像もしなかったため、カルチャーショックというか....なんでしょうね?
「森の奥深くの部族に会いに行ったら、ベンツを乗り回していた」
そんな感情に近い。
友人「あ、こっちこっち!!」
新宿へ初めて上京した田舎人がごとくウロウロウロウロしていると、友達から声を掛けてきた。完全にお前のこと忘れてたわ。
友人「まだ終わってないから隣で座って待ってて」
僕「は?」
景品交換するからと僕を呼び出したのですが、意外にも終わらなかったとのこと。
普段ならイライラして唾を5Lくらい吐きかけるところですが、正直に言って、パチスロというものが動いている状態を見てみたい気持ちもあったので、仕方なく隣で待つことに。
5 分 後
僕「いっけぇぇえぇぇえええ!!蛍火ちゃそ〜〜ッ!!!!!」
友人「謎の蛍火推しやめろや!!!」
クソうるさい一角の出来上がりです。
こんなことを書くと謎の正義の味方集団が口々にこう言うでしょう。
「マナーの悪いやつは死ね」
と。
しかし残念ながらこの店は”こういう店”なのです。
当時はこの店ばかり通っていたので分からなかったのですが、この店のアットホーム感は異常。
例えば....そうですね。
ある台で設定6がほぼ確定的になると、周りが「おめでとう」と声をかけ、
またある時は、僕が秘宝太陽のBONUS Battleで\デカPUSH/となっているところを、横のおっちゃんが勝手にPUSHしてくる。
そんなふざけた空間を形成している特殊なホールでした。
話戻りまして、
僕はパチスロのあまりの完成度に熱狂し、隣で見ているだけだったのに1時間があっという間に過ぎてしまいまいました。
友人「明日打ちに行く?」
僕「イクイクゥ〜」
そんな感じで僕はパチスロへハマっていったわけです(突然の雑)
さて、コラムテーマの【思い出のパチスロ屋】。
僕は一番最初に入ったホールがこのホールでは無かったら、大して興味を持つことはなかったと断言できます。
僕はとにかく自分の感情を他人と共有したがりで、そうすることでやっと『楽しい』と感じることができます。
目の前で起こった感動、衝撃、苛立ち...
これらを周りと共有し、ギャーギャー言えるような環境。
もしこれがイベントばかりやっているガリ勉型のパチスロ屋だったら、僕の感動は行き場を無くし、ただただストレスが溜まるだけだったでしょう。
まぁ、今となってはブログへ発散することで共有化出来ているので、僕にとってそのような環境は必要なくなったわけですが、
それでもやはりあのパチ屋を、あの環境を思い返すと、手を伸ばしたくなるような心地になります。
空気を読まない識者「それを言うなら、パチスロと出会う前に手を伸ばしたくはならないのかね?」
なるほど、当然の疑問ですね。
パチスロと出会う前に戻りたいかどうか...。パチスロッター全員が抱える悩みと言っても過言ではない命題です。
はっきり言いましょう。
死 ん で も 戻 り た く な い
死に戻りのセーブポイントがパチスロ屋と出会う前であれば、僕は喜んでパチ屋へ駆け込みましょう。それほど、僕はパチスロとの出会いに感謝しているのです。
昔の僕は、アニメ、ゲーム、パチスロ、タバコ、その他諸々の”趣味”と言われる領域に興味が欠けらもありませんでした。
それらは取るに足らないものでしかなく、価値がないと決めつけていたのです。
その中でも究極系であったパチスロ。
パチスロをする人間は卑しく、浅ましく、ただただ世間から落ちこぼれた人間がいる場所であると、そう決めつけて触れようともしませんでした。
でも現実は違いました。
社畜生活で擦り減った心を取り戻す最良の作業は、「成功体験を数多くすること」と言われています。
パチスロは、確かに1日を通して打てば負けることが多いですが、
例えば天井から80%ループを勝ち取る、
例えば溜めに溜めた穢れが解放される、
例えばこれまでずっと引けなかったフリーズが引ける
など、
『報われた』
という体験を、「自分1人の力」でしやすく、心の安定を取り戻しやすいという意味で、
現代人の趣味として最も理にかなったものではないかと感じます。
この事実を知った時、僕はこれまでの自分のあり方を恥じ、毛嫌いしているものこそより積極的にチャレンジするようになりました。
その結果、テストでは満点を取り、部活では活躍し、彼女はでき、
という進○ゼミ的展開にはなりませんでしたが、人生の充実度が格段に上がったことは言うまでもありません。
これも全て、”あのホール”のおかげなのです。
さて、まだまだ、このホールについて語りたいところですが、コーヒーも冷めてきたので筆を置かせていただきます。
駄文失礼しました。
7
皮下脂肪さんの
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このコラムへのコメント(2 件)
面白かったです、構成がオシャレでした。