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ネオン わたし作ったホール
ネオン わたし作ったホール
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銀チャさん
沖ヒカルさんのコスプレが得意です。 パチ7血吐きキャラで、日々吐血の毎日です。 【吐血王に、俺はなる‼︎】 - 投稿日:2019/10/20 04:46
はい。
銀チャでございます。
わたしを作ったホールとは。
どうぞよろしくお願いします。
わたしを作ったホールとはどういったものか?ちょっと長くなりますが、よろしくお願いいたします。
出会いは、小学生4年生くらいかと思います。家族で外食をした時でしょうか。坂を下り交差点に差し掛かった時に見えるネオンの印象的なホールでした。
まぁ、まだ小学生ですから、どんな店かも分かってはいませんでしたが、わたしはそのネオンが大好きでした。
チカチカチカチカチカチカ…
めまぐるしく動く光。いろいろなパターンで光っては消えて、七色のネオンがとても印象的なホールの看板でした。
それから、高校生辺りからホールにお世話になる事になります(今も昔もダメだよ)
当事のホールは、パルサー、ダイバーズ、なんか置いてありました。実家に実機があるので、それは何事もなくスロットにハマっていったものです。小遣いも少ないですから、すぐすっからかんになったのもいい思い出です。
それから、バイトを始める様になってからは、バイト先の先輩とお世話になりました。先輩とリーチ目出す度にウォンチュー‼︎とはしゃいで、7を揃えてはハイタッチと…初心者にありがちなパターンではしゃいでおりました。
それから仕事に就いてからも、帰り道、休みの日と遊びに行きました。
わたし以外お客さんの居ないパチンコのシマで大工の源さんをひたすら連させたり、モンスターハウスのシマでゾンビの手からの単発を食らったり…
そんな毎日の様に通い続けたホールですが、引越しをきっかけに、そのホールへは行かなくなりました。
人生の分岐点で、わたしはこのホール舞い戻ります。もう、その頃にはイルミネーションは節約の為でしょうか、光っているのは店名だけになっていました。
レートも1円パチンコ、5円スロットになっていました。店員さんも入れ替わり、30歳を過ぎて年齢確認を受けるミラクルを味わったのもこのホールです。
ああ、忘れちゃいけない。
ホールで倒れて店員さんにコーヒーを貰ったのもこのホールです。アレは恥ずかしかったなぁ…
…エピソードには欠かせないそんなホールですが、区画整理の煽りとか店舗縮小の煽りを受け、3年前位でしょうか。閉店しました。
最後の日、花束でも持って行こうかな。
なんて思ったのもこのホールだけでした。
わたしのスロ人生で基礎を築いたのはこのホールなんじゃないかなとわたしは思います。そして叶うなら、あのネオンの光をもう一度あの交差点から見てみたい。
わたしを作った…まあ、単純にスロットにのめり込んでいった…それだけですが、わたしに楽しみ、楽しさを与えた。そういった意味ではわたしを作ったと言えるホールであり、思い出にあるホールと感じます。
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銀チャさんの
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このコラムへのコメント(3 件)
確かに良くも悪くも色んな経験をして、立ち回りやスロットに対する考え方を育んでいきますもんね。