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もう6年。まだ6年
もう6年。まだ6年
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元職長さん
- 投稿日:2017/03/11 23:36
馬鹿は馬鹿らしく
またあの日がやって来た
2011年あの日死に損なった自分が
今ココに居る
記録媒体を生産する工場に勤務
4謹2休の午後の休憩に入る直前
時間が止まり体が大きく揺さぶられた
2t近くの設備機械に挟まれそうになり
一歩も動けない、派遣の女子は泣き叫び
固まっている、天井が崩れ落ちて余計に逃げ場が
無くなっていた
揺れ幅が大きくなった為設備同士がぶつかり合い
設備の動きが一瞬止まった
その時『いまだ!走れ』と誰かが叫んだ
誰かは定かでない
一斉に走り避難扉から飛び出た
雷が轟、風が強まり、雪が吹き付ける東北の3月
震えが止まらない
それは寒さのせいなのか地震のせいなのか
そこから地獄の日々が東北に
特に フクシマ にとどまっている
あの日から 今も
今更と思われるかもしれないが
あの時を忘れない
忘れられない 今
10
元職長さんの
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このコラムへのコメント(7 件)
お互いが案外近くにいたんですね。
郡山は電気は止まりませんでしたが、水が10日ほど出ず店も開いてないので水と食糧が一番の問題でした。
電気が生きていたため、暗闇の生活や情報が入ってこない状況は免れていました。
いつもの癖や静けさに耐えきれずにテレビをつけても、どのチャンネルに合わせても絶望的な津波のリプレイしか流れてなかったので余計に暗くなったり。
AC~だろうがぽぽぽぽ~んだろうが、そんなことはどっちでもいい。
この非常時になに言ってんだ?って思ってました
。結果ぽぽぽぽ~んも恐ろしく耳障りでしたから(笑)
ガソリンも並びましたね~!!
まだまだ東北は復興の最中であると思います。
当時、被災した人間として力になれることがあればと常に思ってます。
そんな奴もいるってことも覚えておいてください。
生まれも育ちも東北です
私の住んでいる地域も津波の被害は有りませんでしたが
停電で情報が一切入らず携帯のワンセグでしか
入りませんでしたし見た情報は衝撃的な映像でした
東電原発の水蒸気爆発も衝撃的で『あ~これで福島も
終わりだ』
と覚悟しましたよ
その後は情報の無さに恐怖を覚えました
食料や水、なんと言ってもガソリン問題が
キツかった
津波が有ると予測はしていたが
ここまでの高さが来るとは考えもしなかった
被災地は全てを持ち去られ
見えない悪魔をお土産に置いて行ってくれた
そこが東日本震災でした
自分は今大分に居ますが、郡山に転勤してたときに震災を喰らいました。
4階のオフィスで仕事してる最中に思いっきり揺れました。
津波も地震の影響もテレビで報道されてるような酷い地区ではなかったですが、人生観を変えられるには十分でした。
常に思い出しながらってのは経験した自分達でも難しい部分もあります。
風化してると感じるのは、あの経験や反省が生かされてる実感が出来ないからなのかな?
次にいい形で生かされないと、あの日の絶望的な恐怖のなか乗りきった自分達が浮かばれない。
色々な思いが交錯しちゃって…
先日仙台の港に行く機会があり、そこで津波の高さを記録した壁があって戦慄しました。
ただただ、恐ろしかっただろうなぁ…人知を超えるとはまさにこれで、当時と一緒で言葉が見つかりませんでした。
ある意味サーッと通り雨が悲しみや辛さを洗い流してくれるなら、とそんな思いもあります。
でも、決して消えない。
だから抱えて前に向かうしか無いんだろう?
そんな人間の強さを仙台で見ました。
頑張れなんて安易な言葉は必要ない。
そもそも言葉は要らない。
僕らは日本という船に乗るセイラーマン。
運命共同体ですよ‼︎
全世界的に見れば もう6年
悲しい事に未だに風評被害?的な事は
まだまだありますね、フクシマの米や果物を
買わない食べない近寄らない等々
この間も、ある芸能人も言ってました
『日本のお米は美味しいけど福島はヤダ絶対』
あ~まだこれが現実なんだと実感したよ
仕方のないことなのか
このまま忘れ去られるのも
時間の問題かもしれませんね
被災地は元に戻っていないから。
6年経って、風化されつつあるのが恐ろしい。
10年後に何が起きたか忘れている、知らない世代が出てくるんだろう。
それが一番怖い。