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【祝!6周年】オイラとパチ7の思い出を振り返ってみる。
【祝!6周年】オイラとパチ7の思い出を振り返ってみる。
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あしのさん
あしのマスクの中の人。浅草在住フリーライター。インタビューウィズスロッター連載中。パチ7の他は『ナナテイ』『ななプレス』『悠遊道』などでも書いてます。ツイッターもあるよ!@Slot_Ashino - 投稿日:2020/08/07 17:46
チワッス! あしのです。へへ。
さて! オイラなんかよりパチ7歴が長い皆様にとっては釈迦に説法かと思いますが、毎年8月7日は『パチ7の日』であります。何を勝手に名乗りよんねんみたいな感じで思われるかたも、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。が、コレ実はマジで記念日登録がなされておるとの事。
これね。日本国内における記念日というのは法が定める所の「国民の祝日」の他に、生活と密接に関わる祭事やら習慣・慣例に基づいた「行事(クリスマス・バレンタインデーなど)」の他、企業団体が認定しておる「認定記念日」というものがあるそうで、「パチ7の日」なんかはまさしくこれにあたりますな。
んでこの認定機関が「一般社団法人・日本記念日協会」という所ですが、HPを見るとちゃんとパチ7の日が掲載されておるようです。
ね! これ見た時不覚にも笑っちゃいました。
ちなみに、これが制定された頃はオイラはまだパチ7とは縁もゆかりもなかったんでどういった経緯で記念日登録を行う流れになったのかは知らないんですけども、まあ今のパチ7のノリと同じであれば、おそらく編集長が「おい、記念日って登録できるらしいぜ」と気づくやいなや、腹抱えて笑いながら即登録を申請したんじゃないかなァと思います。
さてさて。上のスクショをよくよく注意してご覧いただきますと、パチ7の日のふたつ下に「花やしきの日」というのがありますね。これ、古参のユーザー諸兄には懐かしい単語だと思います。はい、実は今を遡ること4年前、パチ7の2周年記念のオフ会が行われた会場というのがまさしくその「花やしき」だったわけです。これ狙ったのか狙ってないのか分からないんですが、同じ記念日を掲げる花やしきを借り切って、みんなで2周年を祝うゾイというのは、なんとも洒脱だなぁと思いました(当時は気付きませんでしたけど)。
んで、実はオイラが「パチ7の人」として公に姿を見せたのはこの花やしきでの2周年オフの会場が初めてだったんですね。懐かしや。
ちなみに2周年の花やしきオフが2016年の11月3日。その1ヶ月前には「インタビューウィズスロッター」の初回(佐々木真さん回)が掲載されています。厳密に言うとここから「パチ7のあしの」としての活動が始まってるのですが、その前に実は何度かこちら「自由帳」で勝手に書いてました。
……その辺の成り行きに関しては色んな所で書いてるんで詳細は他に譲りますが、簡単にいうと当時電気屋とライターの二足のワラジを履きつつ生活しておったのが、何かのタイミングで「もう電器屋辞めてぇ」となり、どっか仕事に繋がりそうな媒体は無いかのうみたいな感じのツイートしたのに反応してくださったのがカタギリ氏なのですね。あのDMがなければオイラはおそらくまだ電器屋でした。結構ホントに。ありがとうございますありがとうございます……!
当時は確か『ギャンブルジャーナル』で連載を持ってたり、あと『ニコナナ』さんでもちょいちょい書かせていただいたりしてたのに加え、某ゲーム系サイトとかともコンタクトをとってたりしたんですが、なんにせよその時点では「電器屋辞めてぇ」という願いを叶えるための取引先が圧倒的に足りませんし、自由帳とはいえ目に止まったらライターとして採用してくれるとのことだったんで早速書き始めたんですね。
当時はホントに仕事に繋がンのかい? みたいな感じで半信半疑だったんですが、実はパチ7ってその時点ですでに自由帳出身ライターさんが結構おられたんですねェ……!
ともあれ、その年の10月には『インタビューウィズスロッター』が開始。11月の2周年オフで色んな方とお会いし、名実ともに「パチ7の人」として現在につながるわけですな。
●インタビューウィズスロッターの思い出。
まだ連載が完全に終わったわけじゃないんですが、キリがいいんで「インタビューウィズスロッター」を振り返ってみます。とりあえず、この連載は自分にとってめちゃくちゃデカかったです。
よく「昔からインタビュー書いてたんですか」と訊かれる事があるんですが、商業のクレジット(記名)記事でちゃんと書いたのはインタビューウィズが最初です。最初は果たしてどうやって書けば良いのか全く分からずインタビュイーの方にご迷惑をおかけしちゃうことも多かったッス。例えば四人目の「天草ヤスヲ」さんはホント申し訳なくて、インタビュー自体が最初失敗しちゃったんですね。それで都合2度、わざわざお越しいただいてお話を伺ってます。それでも嫌な顔ひとつせず、ガッツリ付き合ってくださったやっさんには頭が上がらねぇ……!
「ただ漫然と話を聞いてたらイカン」というのはこの時に得た教訓ですな。
そしてそれを踏まえて次、転機になったのが5人目の「マスクド・モリタ」さん回。今まで普通のコラムとかと同じノリで、自分マターでハンドリングして書いてたのが、モリタさん回からは「相手が書いて欲しいように」「相手が持ち上がるように」というのを意識する感じに方向転換しました。これは理由は結構ハッキリしてて、氏が編集者で、かつオイラの記事を前から校正したりしてくれてたからなんですね。なので確認原稿の段階で「こう書いた方がおもろい」とか「ここはもうちょっとマイルドに」みたいな感じの意思疎通がすっごく上手く行った感じでした。なお、レコーダーを導入したのもこの回からです。
「インタビュー記事は二人三脚!」というのが、さらにここで得た教訓。
要するに、ただ漫然と書くのではなく、ある程度面白い話であるとかに絞って深く聞いて、現場でちゃんとどういう形にするのか決める。そしてそれを相手にとっても自分にとっても、一番良いものに仕上げる。
こんな感じッス。
で、6人目。辰巳出版(当時)のたなみさんですね。たなみさん回も個人的に結構印象的でして、彼女の場合は単純に書いて良い話と書いちゃ駄目な話がめちゃ混在してたんで、実際に書ける話でまとめようと思うと内容がすげー短くなっちゃったんですね。なので不足分を電話でききながら、その部分をインタビュー風に再構築するという「創作」の要素が結構はいってます。あたしはこんな事いってない! と怒られるかも知れんなぁと内心は戦々恐々でしたが、本人に読ませると結構好評だったという(笑)。
これ結構重要なターニングポイントでして、それまでオイラはインタビューってその人が実際に言ったことしか書いちゃ駄目だと思ってたんですね。でも、そうじゃない。その人が言ったことを、ちょっと曲げたりくっつけたり。あるいは、別のエピソードをその人が言いそうな口調や、しそうな考え方で再構成して書く。そう。創作なんですよ。実は。面白いインタビューって創作に近くなっていくんです。もちろんウソは駄目。ちゃんと事実に根ざした、その人の「言葉」を、ブラッシュアップして読み物にする。たなみさんからはコレを学びました。
そして今でも仕事でお付き合いのある「ナカキンくん」を挟んで、8人目。「貴方野チェロス」さんです。
思い返すにオイラはそれまで自分の立ち位置を「外様」だと思ってたんですね。パチ7だけじゃなくて、パチンコ・パチスロ業界の。インタビューという仕事もです。真面目に書いちゃあいましたけども、どっかで余裕を持ってた気がします。逃げ道といってもいい。でもチェロさんのインタビュー回で、何かそういう甘えが消えた気がします。チェロさん疲れてるのに真夜中まで真剣に確認・修正に付き合ってくださって、なんかもうインタビュイーがこんだけ真剣なのに、こっちがそれ以上に真剣にならんでどうすると。今までフラフラしてたのが急に恥ずかしくなって、同時に「インタビューウィズスロッター」という仕事が自分の中でちょっと特別なものになりました。
人の人生を書かせて貰えるとか、そんな面白い仕事は他にないじゃないですか。
で、やっぱり真剣にやってるとありがたいことに、ちゃんと認めてくれる人がどんどん出てきてくれるんですね。これマジで。最近気付きました。面白いものを書けば書くほど認められるのは当たり前ですけども、インタビュー記事の場合はそれが特に顕著かもしれない。書いてるとオイラもインタビュイーの事が好きになりますし、もっと知りたくなる。だから一緒にお酒のむと凄い楽しい。このサイクルでこの2年くらいは知り合いや友達がめちゃくちゃ増えました。
いやァ、インタビューという仕事は大変だけどもとてもとても愉快です。本当に。やってて良かったと心から思えます。憧れのしのけんさんにも会えたし!
……ちなみに、今までのインタビューウィズスロッターでベストバウトを決めろ! と言われたら、めっちゃ迷った末に「栄華」さんと「ごみくずニート」さん回を挙げます。他にも面白いインタビューはたくさん書いてるんですけども、作品の色的にね。何かいい話が好きなんですオイラ。笑えるので言うと「ゆうちゃろ」さん回と「POKKA吉田」さん回。サクセスストーリー的には「TERU」社長回とか「閉店くん」さん回とか。
と、列挙してると結局全部挙げる事になるんでこのへんで……。
●インタビュー以外での関わり。
インタビュー記事と並行して「単発記事」「シリーズ記事」も色々書いてますが、最初にそれらを受けたのは2017年の秋くらいみたいです。まだマスクかぶってホル調に出撃する前ですな。ネタは「ぱちんこ技能甲子園」という、いわゆる遊技機設置業者さんにフォーカスした催しのレポートでした。こういうレポートってほとんどのメディアはノンクレジット(無記名)で書くのが王道なので今回もそうだろう! と思ってたら何とあしの名義で書いていいよとの事。ナニィ……? いいのか!
というわけで好き勝手書かせて頂きましたが、特に駄目って言われなかったんでその後の単発記事も割とあしのカラーを出しつつ書かせて頂いてます。
で2018年末。付き合いある媒体も増えてきたんでいよいよ電器屋を辞めて独立を決意。それと前後してオイラはマスクを被って「ホル調」にも顔を出すようになります。お陰様でユーザーさんたちからの認知度もあがり、気づいたら2周年から数えてもう3年以上。もはや新参者とか外様な感じは全然なくなり、パチ7メンバーとの関わりもだんだん深くなってきました。
特にワイルドさん、岡井さん辺りは家が近かったり他の媒体(ナナテイ)でも絡んでたりしてかなり仲良しになってます。あとティムくん犬くんも気づけばしょっちゅう会ってるような……! 去年はちゅうさんに会いに京都まで行くという大冒険も経験しました(枕変わるとなかなか寝れない人)。
なんにせよ、あんまり友達が居ないオイラは「帰属意識」みたいなのをそんなに持たないというか持てないタイプなんですけども、パチ7に関してはお陰様でかなり所属感があります。
6周年を迎えていま振り返ると、とりあえず「パチ7が無かったらオイラは多分仕事を辞めてねぇだろうな」というのがデカいです。独立自体が人生に於いて吉なのか凶なのか今の所自分でもよくわかってないのですが、ただ、独立のタイミング自体はずっと探ってましたし、もししてないなら今でも探り続けてると思います。そういう意味では、40歳を目前にして独立のチャンスをくれたパチ7という媒体には頭が上がりませぬ。
コロナからこっち、業界自体がぜいぜいと肩で息してる状況なのは、すみっこでこそこそと物書きしてるだけのオイラにすら明確に分かります。もちろんパチ7にとってもその影響は甚大だと思いますし、編集部の方々の精神疲労もエグい事になってると思います。お疲れさまです。お疲れさまです。が、これはこれ。祝い事はしっかり祝わないとね。
……というわけで、6周年おめでとうございます!
10周年まであと4年! 折り返しましたね……!
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あしのさんの
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このコラムへのコメント(6 件)
担当編集として、筆が踊っている回と、あ、これ難産だなというのを予想しながら、ニヤニヤしてました(笑)
あしのの体温を感ずる文章は、なかなか真似できないね。またいろんなことにチャレンジするので、力を貸してくださいな。
栄華さんの記事とても面白かったです。
そう! プロファンは我ながら良き称号を生み出したもんだ! 懐かしいねぇ! 今後とも宜しくお願いしマス!
これからも応援してるよー!!
10周年も、あっという間に来る気がするーヾ(喜*・ω・*)ノ
カモさんもインタビューしましたねぇ……! あれも大変良かったですね。個人的にはもっとガッツリ暗くして「コイツ大丈夫か!」みたいな感じにしたかったです笑
はい! インタビュー水面下でちまちま動いておるので、そのうちまた始動しまする。よろしくお願いします!
パチ7の歴史とともにライター 漫画家 編集部それぞれの歴史もあるんですよね。しみじみ。
インタビューウィズスロッターはパチ7を代表するコンテンツなので続編楽しみにしてます!