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イン・ケイス・オブ・アースクエイク
イン・ケイス・オブ・アースクエイク
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あしのさん
あしのマスクの中の人。浅草在住フリーライター。インタビューウィズスロッター連載中。パチ7の他は『ナナテイ』『ななプレス』『悠遊道』などでも書いてます。ツイッターもあるよ!@Slot_Ashino - 投稿日:2021/03/17 20:56
十年前のこと。仲の良い友だちが結婚するということで、じゃあもう独身最後の思い出づくりにみんなでバカンス行こうぜ! と張り切って海外旅行に行った。男四人。気合を入れて約2週間の旅程だった。どうせなら何の準備もせず、荷物も無しでいこう。着の身着のまま、全部現地調達、現地調査だ。居酒屋でガンガンに盛り上がってそう決めたけど、当日実際に手ぶらだったのは俺だけだった。みんなガッツリ荷物を持ってやがる。
「お前マジで手ぶら出来たの? 正気か?」
「流石にパスポートは持ってるよな?」
「パンツとかどうすんだよあしの君」
この時点で俺はちょっとムカついていた。だって決めたじゃないか、手ぶらでいこうって。俺たちの友情はそんなものだったのかい? と。ただ、ノープランで行くという方向性だけはみんな見失っておらず、ついてからも実際グダグダだったので、何となく勝った感じがした。ほら見ろ、こんなグダるんなら荷物も現地調達の方がおもろいさ。
ついた場所は、タイだった。飛行機を乗り継いで何となくプーケットに向かう。
何となくで飛行機に乗るのもどうかと思うけど、これは大正解だった。海は生来あんま好きじゃないけど、これだけ青いと流石にテンションが上がる。現地のおっさんが日本人とみるやひたすら風俗に連れていこうとするのもイカしてたし、3人しか乗れねぇトゥクトゥクに無理やり4人乗るもんだから、一番体重が軽い俺が屋根の端っこを握ってハコ乗りするしかなく、やること全部バカバカしくて楽しかった。
途中でフェリーに乗ってピピ島にも行った。
びっくりするくらい南国だった。海産物と塩の香りが混じった独特の匂い。白い砂浜に反射する太陽光。みんな泳ぎたがったけど、海が嫌いな俺は1人でジャングルみたいな山道を登った。当時は今ほどチャイニーズのバックパッカーが幅を効かせてることもなく、アジアンのツーリストと言えばほぼ日本人であった。ツアー客らしいアジア人のおばちゃん集団に何となくくっついて山を登る。
「あらァ。ここやで」
「ほんまやねぇ、こんなところまで」
山道の脇に建てられた看板を指差して、おばちゃんが言う。大阪弁だった。何のことやらよくわからず看板を観ると、そこには英語でこう書かれていた。イン・ケイス・オブ・アースクエイク・ゴー・トゥ・ハイアー・グラウンド。そしてその上には「ツナミ・ハザード・ゾーン」とある。ああ、なるほど。ここまでツナミが来るぞ、ということか。まるっきり他人事なので、そのまんま飲み込む。
山の向こうの植物が両手を広げる、その隙間の奥に、青い海が見えた。眼前……というより眼下である。つまり、標高がそこそこ高い。
「こんなところまで、ツナミが来るんやねぇ」
「一杯亡くなりはったんよねぇ、ツナミで」
「そうそう。あれいつやったっけ」
「しらんけど、今揺れたらうちらも危ないで、ここおったら」
なるほどねぇ、と思った。そのまま山の遊歩道を一周してビーチに戻る。仲間と合流して、ロッジみたいな海の家(とタイでも言うんだろうか)で、チャン・ビアだかシン・ハーだか、とにかく水道水の味がするビールをかっ喰らった。ピピ島の思い出はそれだけだ。フェリーに乗ってプーケットに帰った。夜は屋台で何の肉かよく分からん、正体不明の料理をツマミながら、やっぱりチャン・ビアだかシン・ハーだかを呑む。何日かそういう日を過ごすうちに、流石に飽きた。いっそ途中で切り上げて帰ってもいいんじゃねぇかと思ったけども、まあせっかくなんでタイを漫喫することにする。タイと言えば……。あれか? ワット・ポーのレイニング・ブッダだろう。スト2のサガットステージだ。なあ、サガットステージ見に行こうぜ、というと、特にやることもなく旅行そのものに飽きが来てた連中はすぐさま同意してくれた。じゃあ、いこうか。
バンコクだったら他にもアユタヤだのタイガーテンプルだのキングパレスだのがあるみたいだし、こりゃあ見識が広がっちゃうわい! とか思ってたけど、実際にはワット・ポーとアユタヤを見たあとは、ひたすらチャン・ビアだかシン・ハーだかを飲みつつゴーゴーバーで遊んでただけだった。
酒。屋台。酒。屋台。たまに仏像。日常のルーティンから抜け出すためのバカンスが、見事なループに陥ったまま最終日が来た。意味不明に険悪なムードのまま、帰路につく。帰りの機内では、誰も口を聞かなかったものである。
旅行に計画は、やっぱり必要だ。
それが分かっただけでも収穫だったのかもしれない。途中でそれぞれの組み合わせでもれなく喧嘩が発生したり、嫌気が差した奴が途中で帰国したりと文字にすると全く楽しそうに聞こえないけど、成田空港で「じゃあの。楽しかったな!」と別れた時はなかなかやりきった感があったし、ちょっとは名残惜しい気持ちにもなった。すっげー良かったわけじゃないけど、まあまあ及第点の旅。そんな感じだ。もう一回行けと言われると絶対断るけども。
電車に揺られて足立区の部屋に戻り、まずは全裸になった。開放感だ。当時は俺は自宅では常に全裸で過ごしてたのだけど、この二週間は常に誰かと相部屋だったのでそれが不可能だったので、実のところ少しストレスであった。そして全裸のまま、手を洗って歯磨きをする。睡眠も足りてなかったので、寝るための準備だ。
歯ブラシを咥える。ミントの香りが鼻に抜ける。タイの歯磨き粉は訳わかんねー味がしたなぁと思いながら、思わずクスっと笑いが出た。
そこで、いきなり揺れた。
まずは微細な縦揺れが長く続いて窓枠を鳴らす。ついでゆっくりとした横揺れ。あー地震だなと思ったけど、窓枠のガタツキが半端ない。あれ、いつもの地震ってこんな音したっけ? と思ってるところで、ぐらりと部屋が傾いた気がした。右へ、左へ。波のように揺れる。キッチンの方から何かが割れる音。歯ブラシを咥えたままドアから覗くと、冷蔵庫の上に置いてた電子レンジが落下している。やべえと思って作業部屋のドアに向かう。案の定、PCラックがヤバい。パソコンがぶっ壊れたら流石に仕事にならんので、必死に支える。アームで机に固定していたサブディスプレイが冗談のように揺れていた。ガラスが割れる音。どっかで何かやったっぽい。脳のどっかが覚醒したのか、妙に冷静になった。ちょっと揺れが収まったところでのしのしと部屋中を歩いてすべてのドアを開く。ガスの元栓を閉めて水道の水がでるか確認したあとしっかり蛇口を締める。風呂場も同様だ。口を濯ぎながら超高速でパンツを履いて、ジーパンとTシャツを装備したあと、アパートの廊下に出た。
観ると、隣の部屋に住んでるフィリピーナとその子供が、泣きながら毛布にくるまって震えていた。ヘイ、ユー・オーライ? 尋ねると、小刻みにうなずく。向かいのマンションの、同じ階のベランダに、寝間着姿の爺様がくわえタバコのまま出てきてこう言った。
「今のデカかったなァあんちゃん!」
「じいちゃん、ガスチェックした? あと、玄関のドアあかなくなっちゃうから、開けといたほうがいいよ。また揺れっかもしんないから」
「ほうだな! いやー、大変だ大変だっ……と。カカカ」
震えるフィリピーナ。笑うジジイ。俺は部屋の外で次の揺れに備えて何をするべきか優先順位を考えつつ、ふと思った。ピピ島だ。まるっきり他人事として、そのまま飲み込んだあの看板。ツナミ・ハザード・ゾーン。イン・ケイス・オブ・アースクエイク・ゴー・トゥ・ハイアー・グラウンド。
【津波災害地域。地震の際はここより高く避難せよ】
ようやくやってきた恐怖感にガクガク震えながら、俺は鼻を鳴らした。まさかね。ないよ。いくらなんでもね。ツナミなんて。いやぁ、それにしても、やけにデカイ地震だったなァ──……。
東日本大震災で亡くなられた方のご冥福と、そのご家族、そしてまた今なお避難生活を余儀なくされる被災者の方々の、ご健勝をお祈りいたします。
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あしのさんの
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このコラムへのコメント(6 件)
「ここから先に家を建てるな」。先日ちょうど3.11について調べてる時にその石碑の存在を知りました。先人の知恵というか、やっぱ年寄りの言うことはちゃんと聞かなきゃ駄目なんだなと思いました。
ここより下に家を建てるな。そんな伝承碑もありましたが風化してしまっていた日本。プーケットの看板もそうならないことを願ってしまいます。
ありがとうございます! いやぁ、看板みてすぐにあの悲劇でしたし帰国がちょっと遅れてれば空港封鎖でしたし、もしかしたら海外じゃなくて東北旅行に行ってた可能性もありますし、他人事じゃないですよねほんとに…。
看板、なにかしらの暗示だったのかもしれませんね。
チワッス! マジで一年過ぎるのがガッツリ早くなってっててやベースね。確定申告終わったと思ったら次の確定申告……。
しかし、当時は師匠、髭生えてましたねぇ……
地震の時はまだ日本だったけど、あれからもう10年経ったのか。年取ると加速するね時間の流れが