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初めてのスロットとパチンコの出会いのお話
初めてのスロットとパチンコの出会いのお話
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長門龍希さん
田舎でひっそりまったりな養分デス 石は投げないでください - 投稿日:2016/05/04 08:01
今思えばあの時の発言がなければこの道を歩んでなかったかもしれないし、別のキッカケで歩んでいたかもしれない、けれどあの決断が大きな分岐点だったのではないかなと今でも思う。
ひっそりとしていた中2の頃に学校近くのお店にいた、ツタヤやゲオのようなレンタルや本やゲームなどの販売をメインとするお店の一角にある異質を放つコーナーがあった、ゲームコーナー・・・いやアミューズメントコーナーというべき場所にいた。
そのコーナーにはクレーンゲームが3台か4台、パチンコが2台、そしてスロットが20台近くあった。獣王やサラ金に十字架、鬼浜やモグモグに吉宗などといった台が並んでいて吉宗のように人気のある台は台数も多く設置されていた。主役は銭形とかもあったような気もする、初代GODはありませんでした。
ふらっときてウロウロして興味を惹かれる台があった、他の台はなんだかよくわからないけどこれならわかるから大丈夫だろうと座った台は北斗の拳であった。わかるといっても当時の頃は基礎知識程度しかなかった、北斗四兄弟に南斗六聖拳にファルコくらいしか知らなかった。
100円を入れて打ち始める、スロット自体はタマムシシティやコガネシティやサンマリーノでどうすればいいかくらいはわかる・・・しかしどうすればいいかわかっているのはそのスロットだけであって目の前の台のことはわからないことばかりだった。
チェリーがどこかもわからないしスイカがどこかもわからない、わかるのは台にくっついてるケンシロウが負けない限りバトルは終わらない的な説明だけでひたすら打つ。目押しの目の字もないような打ち方を続けていきクレジットがなくなったら追加投資して適当に打ち続けた。
そして何の小役で誰を倒して当たったのかわからないがボーナスを引く、7か北斗を狙えばいいのだろうと狙うも揃わない、クレジットもなくなり追加して回すも揃わない。
そして確定画面を前に所持金とクレジットが尽きて回すことが出来なくなりどうすればいいか考えてると巡回していた店員が話かけてくる、よかったら目押しを致しましょうか と。
今思えばクレジット無くなる前に言ってもらいたかったなんて思っていたが目押しをしてもらえるなんて知らなかっただろうし、そんな発想もなかったから仕方ない、だが結局お金がないから目押しをお願いしても遊戯は出来ない。
お金が無くなったので、取りに行ってきてもいいですか
たかがゲームコーナーのスロットであるし、もちろん連チャンする保障だってないし続けなくても良かったかもしれない、でもお金をそれなりに使ってる分せっかく当てた台を放棄することは出来なかった。
その後家までお金を取りに行き目押しをしてもらい初のバトルボーナス、高継続示唆はレイくらいしか記憶にはないが19連とラオウ昇天の目前で確かラオウのケリで幕を閉じたがもちろん剛掌波が危険だとかパンチはわりと安心だとか20連で昇天になるなんてのも知らないが1つだけ思ったこと。
面白いなあ、と感じながら景品チケットで食料と交換して帰宅するのであった(320だか350だかクレジットが貯まるとチケットが放出されるタイプの台で放出後クレジットが少しだけ残るタイプ、1ptでカップ焼きそばやポテチのようなお菓子が3つと交換なので1pt辺り300円くらい)
その後初めてのパチンコも北斗の拳、スロットよりも早く数回で実戦でラオウが昇天してしまったため実はそんなには打っておらずメインは目押しは出来ないスロットであった。
冬ソナのほうは興味がなかったのとよく連チャンするからか人気が圧倒的だったのもあって触ってなかったり・・・獄長やウダのレアなポリゴンだったりするんですよね。
そしてここからは更に昔の出会い、本当にパチンコ・スロットを知るキッカケとも言える出会いのお話
遡ること幼稚園時代春から小学生という時期に実家の祖父から自転車を頂いた時に「こういうの興味あっかあ?」といって祖父が持ってきたもの、普通の実機よりかは一回りくらい小さいパチンコ台。おもちゃなんてその頃はビー玉や1つが手のひらくらいのブロックにトミカ、珍しさから当然のごとくお持ち帰りすることに。
そのパチンコはチューリップに入賞させて増やすタイプで入賞すると玉の絵がガキキキキキーンというようなレジスターのような音をさせつつ上がっていく、時間経過だか打ち出ししてると玉の絵がだんだん下がるので下げないように入賞させて1番上にまで上げるタイプ。
最初の頃は楽しかったかもしれない、しかし幼稚園児がこの単調作業に継続的に面白みを感じれていたかと言われたら違ったかもしれない。それにパチンコ台は他のおもちゃと手を取り合うことは出来ない、遊びの幅は広げられなかった。
そして玉の絵は1番上まで行くと動作が停止し、リセットスイッチを押すことで玉の絵がストンと落ちてまた遊戯が出来るという仕様であったが大きな仕様の穴ともいえるものがあった。台を逆さにしてリセットスイッチを押す・・・すると玉の絵が重力に従いストンと落ちてくる、全部出てくるのでその後元の状態に戻すと少しだけ下がった後に絵は止まる。
1番上のちょっと前の高さで止まる、すぐに2発3発入れてしまえばストップがかかるのですぐにゲーム終了となってしまう。RPGでいうならパスワード入れたら魔王が瀕死の状態からスタートするようなもの、そうして飽きてしまいパチンコ台は恐らく2週間か1ヶ月くらいで撤去されてしまったのだ。
その後時期としては同じくらいにスロットとも出会う、スーパーファミコンに見たことないカセットが刺さっているので興味本位で起動し動かすも理解出来ず数分で終了し他のソフトをプレイし始める。
まさかこれが最初のスロットだとは思ってなかった、タマムシのは無論ノーカン。しかしこのカセットの記憶はあっても何のカセットだったかは一時期わからないのであった、高校生くらいの時にゲーセンでその後継機とも言える機種を見て初めて(ああ・・・こいつ昔見たことあるやつだ・・・!)となるもまた数年忘れているのであった。
そしてパチ7でコラムを書いていて思う、そういやパチンコ・スロットの出会いについて書いてみようとなり記憶を揺さぶりつつ調べる、当時の記憶を頼りに。当時の記憶であったのは青いパッケージ・そしてブサイクなネコと目付きの悪い鳥が写ってたということ。
検索した結果思い出せなかったピースが一致する、コレだコレだ意味わからずやってすぐ止めた出会いの機種・・・・ちなみにピンクパンサーのほうは確か打っておらずクランキーのみ触っていたと思いましたとさ。
デハデハ・・・
【本日の一言的な】
ちなみにこの小さい頃のクランキー打って、次にクランキー打ったのがクランキーコレクションだったのでかなり疎遠だったけど、印象残ってました。
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長門龍希さんの
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このコラムへのコメント(10 件)
コメントありがとうございます・・・!
スーファミだとやはりマリオとかドンキーメインでしたけど、やはり異質なオーラはなってるだけあって記憶の片隅にはありました・・・そして長い歴史になりますね必勝法も
スーファミはドンキーコングをやったのかやってないのかぐらいの記憶…
まさかこの時代から、しかもパチスロ必勝本も存在していたなんて!!すごいっっ!!
コメントありがとうございます・・・!
スマホで見たら見事に区切られてました悪意あるレベルで・・・まあネオン看板の電気切れたのと思ってください・・・!
コメントありがとうございます・・・!
なんとこの時期はホール景品であった時期でしたか、そういえばなんかパチンコでゲーム持って返ってきた父の記憶がなんとなくあった気がしてきました。
スマホとかPCの進化についで綺麗に出来ちゃう分、荒さが残ってるほうでやれば思い出深いかもしれないです
景品でソフト取ったわ(笑)
確かピンクパンサーで勝ったから、このソフト選んだ記憶あり(^-^)
あの荒さも良かったわぁ
今は…携帯で出来ちゃうよな(^_^;)
おまけに画面もキレイ!
…ニューパル打ちたくなってきた(>_<)
コメントありがとうございます・・・!
やはりシミュレーターでリーチ目やら目押しの勉強はしちゃいますよね、クイーンとかもあったとは・・・
書いてて懐かしかったですね、アノコロガナツカシイ
コメントありがとうございます・・・!
(´・ω・`)まあスーファミですからね、今の御時世と比べちゃうとかなり荒くなっちゃいますね
そうですね中3はさすがに受験とかのほうに念頭置いてましたから確か中2ですね、逆算されると年齢の検討はついちゃいますね・・・
吉宗の天井バケという地獄・・・(´;ω;`)
クイーンⅡのカセットもやってたかなぁ。
懐かしいっすね‼︎
スーファミで結構ソフト出ているけど
画像荒すぎて無理(笑)
ピンクパンサーは当時勤めていたホールに
設置されてましたね。
おなじみのあの曲がBIG中に流れる・・・って
えっ? 北斗とかがゲーセンに置いてあった時が
中2?
俺もう仕事してるし、当時ホールで打ってたし・・・。
ほぼ単発だったし。
天井単発とか普通だったし・・・あれ涙が止まらない。