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パチ無知の知~パチンコパチスロの裏側を知ろう!~
2021.09.06
機歴・抱き合わせ営業はどこから始まった? 遊技機を販売する会社『ベテラン販社(代行店)さん』に聞いてみた!
佐々木真 パチ無知の知~パチンコパチスロの裏側を知ろう!~ ゆる調~パチンコパチスロゆるゆる調査隊~
知っているようで、実は知らないことだらけ。そんなことを本職の方に伺おうというシリーズ企画の第2弾となります。 前回は「仏壇筐体は支持されている? 新台パチンコパチスロが出来るまでを元メーカー出身の開発会社に聞いてみた!」をお届けしましたが、今回は、その先。完成した機種が、どのようにホールへ売られていくのかに迫りたいと思います。引き続き進行役を務めさせていただきます佐々木真と申します。
上野あたりの喫茶店にでも入ると「ハンシャさんにお願いしてみます」なんて会話が普通に聞かれます。知らない方には脳内で「反社さんにお願い」と変換してギョッとされますが、パチンコ・パチスロ業界を少しでもかじった人ならば「販社さんにお願い」となります。
販売会社。読んで字の如く、販売する会社です。販売するのは、もちろんパチンコやパチスロの実機。新機種を製造したメーカーに直接、各ホールから注文する形でも良さそうです。素人目にはそう映りますが、機械を売るだけではない仕事であったり、歴史的な背景があったからこそ、会社として存在しているはずです。
▲ワクワクランド 代表 涌嶋士郎さん
そのあたりのことをパチスロの販売会社ワクワクランドの涌嶋士郎代表に伺って参りました。
苦難の時代のオリンピアで業界デビュー
佐々木(以下、佐):私も新機種をちょっと触りたい時にお邪魔させていただくことのある販社さんですが、機械を売っていること以外、実は何も知らないことに気が付いてしまいました。販社さんとはどんな存在なのか、是非伺わせてください。本日はよろしくお願いいたします。まずは涌嶋さんの経歴を簡単にお願いいたします。
涌嶋(以下、涌):1964年生まれで、旅行業界・美容業界を経て、1992年にオリンピアに就職しました。そこから販売会社に転職した後、1996年に独立してワクワクランドを設立して今に至ります。
佐:ちょうど四半世紀ですね、メーカーに入られた経緯とか、転職された経緯とか、いろいろ気になります。差し支えなければ(笑)。
涌:大学生の時代に、中退するほどパチスロに熱中してしまいまして。専門学校を経て他の業種に就職して退職して。ちょっとフラフラしていた折に求人誌でオリンピアを見つけて『スーパーバニーガール』など好きだったので「ココしかない!」と思いましたね。狭き門でしたが、運良く採用していただけました。
佐:そもそもパチスロがお好きだったんですね。ところで、採用されたのは営業としてですか?
涌:はい、営業です。当時、直販(メーカーが直接ホールへ遊技機販売すること)はユニバーサルくらいだったのですが、オリンピアも本格的に直販を模索していたようで、関東近郊を中心に100名規模で募集をしていました。
佐:具体的には、どのような営業活動が多かったのでしょうか?
涌:飛び込み営業ですね。(各県遊協の)組合員名簿からアポイントを取ってというのもありましたが、直販を始めたばかりで、取引先リストなどもなかったため、基本的には飛び込み営業が多かったです。その時に売っている機械があまり良くなくて(3号機の『バニーXO』)。しかも導入からちょっと経った。既に(悪い方向で)結果の出ている台を売るのは、相当しんどかったです。
▲バニーX.O (1991年 オリンピア)
佐:当時を知る人は誰しも頷くと思いますが、3号機のノーマル(メーカー純正という意)を売るのは大変ですな(笑)。で、お辞めになられたと。そこから販売会社に転身されたのは、これまたどういった経緯でしょうか?
涌:オリンピアを2年半ほどでクビになったからです(笑)。1994年6月に大リストラがありまして、そこで切られました。3号機が売れないばかりか、4号機の最初も迷機が続いて。業績が悪化して、銀行の管理下になってしまったんです。その時に平和からも支援を受けていましたよ。何年か後になって、逆に平和を傘下に収める、小が大を飲み込むような逆転現象となりますが。
佐:オリンピアにもそんな追い込まれた時代があったとは驚きです。
涌:私は幸いにもクビになった翌日から、先輩がやっていたオリンピアの一次販社に以前から誘っていただいていまして。「固定給をいただけるなら悪くはないかな」と行ってみたら「ふざけるな、涌嶋。基本給などない。事務所までの定期券代だけ出してやる、明日から自分で稼いでこい」と(笑)。
佐:時代とはいえ、これまたハードですな(汗)。そこで売ることができたから、今の涌嶋さんがある。販社人生が始まったのですね。
涌:営業仕事って、人間関係を作らないと、良い機械だからってなかなか買ってもらえるものではありません。オリンピア時代に売れる台はなかったんですけど、とにかくホールさんを回っていたんですね。それが良かったのか。いざオリンピアを離れて、全メーカーの機械も扱えるようになったら、いろいろなホールさんから一気にお声がかかりまして。
佐:オリンピア時代に培った人脈が活かされたのですね。いかん。この時代(私がライターになる前)の話は知らないことだらけで興味津々となってしまいました。販社さんそのものについても伺わせてくださいませ。
一次販社? 二次販社? ってなに?
佐:販売会社は、ホールと機種購入の契約を締結して、それによりメーカーからマージンを受け取る存在。このように認識していますが、一般の流通では介する人や会社を減らして、その分だけ価格を下げるなどが是とされている時代です。ぶっちゃけまして「販社さんって必要?」と思うサイト読者さんもいらっしゃると想像します。「メーカーの直接販売じゃダメなの?」って。
涌:私がこの業界に入った経緯も、オリンピアの直販体制の強化方針ゆえでしたが、1995年頃のパチスロ業界は、ユニバーサルくらいしか直販をやっていなかったんです。そのユニバーサルにも一次販社などあり、直販だけではありませんでした。誰かが代わりに売っていた。それが販社ということです。
佐:「一次販社」とは先ほども出てきた単語ですが、具体的にはどのようなものでしょうか。
涌:メーカー公認の……言わば問屋さんのようなものですね。代行店とも言います。その下には二次販社があって。こちらは、小売店のような存在です。今は、二次販社もメーカーで登録しているところ以外は、売ってはならなくなっていますが。
佐:開発会社のように下請け・孫請けのような形となっているのですね。その一次販社は、メーカーの子会社だったりしないのかなとか。
涌:子会社ではなく、まったく関係ありません。ただし、一次販社になるのは大変です。保証金も数千万円単位で必要です。下手すれば一億円とか。
佐:ひえ〜〜っ。そんなに必要なんですか。でも、二次販社もメーカーに登録されているならば、一次販社になるメリットが見当たらないのですが。
涌:機械がヒットした場合。一次販社が優先されて、二次販社はゴメンナサイされるというところですね。4号機後半の『吉宗』以降、大都技研の一次販社さんは、ビルを建てる勢いでしたね。でも、二次販社には回ってこないとか、回ってきてもちょっととか。
佐:エグいですね(汗)
涌:こっちは、その前の『ジライヤ』とか『バンバン』とか頑張って売っていたのに。腹立ってしょうがないです(笑)。
佐:例えば、大都技研の一次販社をやっていた場合、その他のメーカーの一次販社と掛け持ちできたりするのでしょうか?
涌:普通にできますよ。他のメーカーを売ってはならないのは、おそらく山佐の一次販社だけですね。でも、ちゃんとフィーが高いそうです。
佐:山佐の販社さんと話すと、山佐の機種だけむちゃくちゃ詳しかったりします。なるほど。山佐の機種だけ見続けているからか。納得しました。
販社が機械を買う時代もあった。
佐:言葉だけ知っていて、個人的に気になっていた一次販社と二次販社の中心となってしまいましたが、販社さんの存在理由と言いますか。そのあたりの歴史もお聞かせください。
涌:現在は、受注契約を結んで報酬を受け取る形ですが、当時は「仕切り」といって。大きな一次販社が新機種をロットでメーカーから買い上げることも珍しくありませんでした。
佐:メーカーは、ホールに売るというより業者に卸すという感覚だったのでしょうね。しかし、一次販社はリスクがかなり大きいというか。
涌:その代わり、利幅は大きかったですよ。メーカーと直接契約する一次販社はリスクを被る代わりに、その傘下の二次販社が売ってくれれば、マージンを得ることができました。二次販社への報酬・一次販社へのマージン。これらを差し引いてもメーカーは収益が出る。経営が安定するということですね。
佐:一次販社が一度買ってから、売り方を考える。そりゃ、売れなかったら“裏モノ(メーカーの意図しない不正改造機)”にしてでも売るしかなくなりますな。そればっかりだった時代があったのも頷けます。裏モノは、遊び心で作られたのではなく、必要に迫られて作る側面もあったのかと腑に落ちました。
涌:いずれにせよ“業者への依存度”が高い時代だったということです。ノルマみたいな形でメーカーから台数を割り当てられることもあったのは確かです(笑)。
佐:そんな時代を経て、現在は手数料方式が中心に。直販体制を整えているメーカーも多いかと思います。どのような経緯で、そのようになったのでしょうか?
涌:いろいろなメーカーが株式を上場したあたりですね。直販のほうが利益も出ますし、業者にリスキーなことをさせるよりもコンプライアンス的に安全ということでしょう。
佐:どこにどのように売るのか。その方針を決められるのはメーカーなのは仕方ないとして。いろいろなご苦労があったことは想像できます。直販だと価格が安いとかされてしまうと、間違いなく直販しか売れなくなるでしょうし。
涌:基本的に価格が違うということはありませんね。某メーカーでは、めちゃくちゃ安く売ったこともありましたが。ただし、値段は同じでも、直販で買えば最速の納期になって、業者から買うと1週間後とか。随分と契約を持っていかれた販社も多いです。そのメーカーさんとも、今も仲良くさせていただいていますけど(笑)。
佐:安く売っていたメーカー名とヒントは、触れないでおきます(笑)。最速導入が重要視されていた時代もありましたし、それは強い逆風と想像できます。随分と販社さんの販売数を減らしたのでは。
涌:関東の直販比率は90%ほどになりました。会社を畳んでしまうところも増えましたね。
佐:そんなに高いんですか!
売るだけではない仕事。
佐:関東は90%が直販とのことですが、それ以外の地域はどうでしょう。過去に関西メーカーでやらかした機種があって、その補償が関西だけだったなんてこともあり。ちょっと事情というか、雰囲気というか。違うように側からは感じています。
涌:関西は“販社文化”がまだ残っている感じがしますね。私は、西のホールさんのほうが元気な傾向にあるのは、これも影響しているのかなと思っちゃう。そう思いたいだけかもしれませんが。
佐:販社さんがあったほうが好ましいと。どのような点でしょうか。
涌:直販が多いと、他の業者が関わる余地がなくなります。業者とは、ある意味コンサルタントのようなもの。いろいろなメーカーの機械を扱い、いろいろなホールを見ている人から「ここのホールには、この機種が合いますよ」なんて意見を聞けなくなりますからね。
佐:なるほど。そのホールの実情を知っている人が売ったほうが良いですよね。それと同時に新機種の知識も必要。直販の社員さんが全国のホールを見ればと言っても限界はありますし。
涌:我々は予算を聞く中で、より集客できるのはコレかなと提案しますが、メーカーは良いことしか言いませんからね。ただ、機械を用意できなければどうしようもありません。そんなことも、直販比率が高まっていく傾向となっています。
佐:ただ、関東圏での直販比率90%とか、やっていけないですよね。
涌:シンドいですね。そうなると、言葉は悪いですが、直販で相手にしないようなところを回ったりもします。でも、そういった業者も偉いもので。現金のみでしか販売されないのであれば、その現金を業者が用意して、ホールさんがメーカーの出す条件に合わない決済方法でも買えるようにしたり。そうやってホールさんを助けながらやっているんですよ。立て替えたりして。そうまでして頑張っているのが今の業者ですね。
佐:知識の提供だけではなく物理的にも。身近な中小店を守っているのが販社さんということもあるのですね。直販比率が高くなれば、そのようなイレギュラーな購入方法もできないでしょうし。ここも中小店にとっては逆風とも言えそうです。
抱き合わせ営業・機歴営業。
佐:ここで、読者の方々が聞きたいであろう。本丸とも言えるテーマでございます。抱き合わせ販売・機歴販売についてどう思うかというのと、いつ頃からこの形態が広がったのかと言うことをお聞かせください。
涌:どちらかというと、パチスロメーカーよりもパチンコメーカーから始まったような記憶があるんですよね。メーカーが株式上場を始めて、(利益を増やすために)直販が増えたところから。でも、一部の販社が勝手に始めたところもあって……。
佐:と、言いますと?
涌:それ以前から、一部の二次販社が「これから予定されているあの機械が欲しいのだったら、コレも買っておいて」なんて言うこともなくはなかったんです。
佐:気持ちは分からなくもないですね。入手できる数が限られている人気機種ならば、困った時に助けてくれたホールを優先したい。人の子ですから。予約券的な直前の前払いは閉口してしまいますけど。購入結果の積み重ねならば少しは納得もできる気がします。
涌:再販を重ねるような、売れまくる機械が多かった頃は、同時進行も多かったです。「あの旧機種を持ってきてあげるから、この新機種も買って」と販社サイドがホールさんに持ちかける形です。もちろん、逆もあるでしょうけど。このような形が、パチスロの抱き合わせ営業のルーツかもしれません。
佐:ほえ〜〜〜。
涌:販社の思惑だと、変な抱き合わせとか起きるんですよ。メーカーの縛りではなく、その販社が売りたい機種となるので。メーカーAの機種と合わせて、メーカーBの機種も買ってもらうとか。
佐:大昔に、秋葉原などのファミコンソフトの抱き合わせが社会問題となりましたが、その時もメーカーはまちまちでした。涌嶋さんも、販社きっかけの抱き合わせをされたことがあるんですか?
涌:私は嫌いなのでないですね。お付き合いさせて頂いているホールさんも嫌っていましたし。ホールさんに嫌われて、お付き合いから外されるほうがマイナスですし。経済を圧迫させて、買いたいものが買えないのも重なって、この現状じゃないですか。抱き合わせは自分で自分の首を閉めるようなものだと感じています。
佐:某メーカーへの苦言はカットさせてください。ユーザーの皆さんの気持ちを代弁するかのように激怒されていた旨のみを記載したいと思います。こんな夜中でも誰かが来そうで。流石に書けません(汗)。
販社歴25年。思い出の機種
佐:話は変わりまして、25年の販売歴で記憶に残る機種を伺いたいと思います。涌嶋さんが最も販売した機種は、どれでしょうか。やはり、4号機の『パチスロ北斗の拳』になるんでしょうか?
涌:そうなりますね。実は『北斗の拳』がデビューするタイミングでは、オリンピアの『黄金神』をメインに売っていたんです。そうしたら、バラエティにちょっと入れた『北斗の拳』の稼働が凄いわけです。ホールさんに「こっちのほうが良かったです!」と追加で購入していただきました(汗)。
▲パチスロ 北斗の拳(2003年 サミー)
佐:初代『北斗の拳』だけで約62万台のセールスとなったのもありますが、1999年に約114万台だったパチスロの総設置台数が、“北斗後”の2004年には約190万台に。市場が大きく伸びた時期でもありますね。
涌:この頃は、増台また増台とパチスロコーナーの拡充(増設)も、いろいろお手伝いさせていただきました。『北斗の拳』も、チェリーやスイカからのゲーム数をカウントしてくれるバトルカウンターを開発した方と仲良くさせていただいていて。それとセットで紹介させていただきました。
佐:バトルカウンターありましたねえ。懐かしい。お世話になりました(笑)。では、爆発的に売れた機種以外で。何か思い出に残る機種はどちらでしょう?
涌:『シオサイ-30』ですね。独立してワクワクランドを立ち上げた時期、私が担当していたホールさんは、まだまだ7枚交換が主流で。ユーザーとしては、レートの選択肢があったら嬉しいなと、メダルの大きさが異なる30Φに注目しました。基本は7枚交換でも沖スロは等価交換にできる。この仕掛けは先駆者だったと思います。
▲シオサイ-30(1997年 パイオニア)
佐:等価交換だと設定を入れにくいですが、メダルの大きさで視覚効果も担保できますし。良い施作ですよね。私がライターを始めた2000年には、もう“沖スロ=等価交換”というイメージがありました。涌嶋さんの思惑通りだったんですな(笑)。
涌:まったく沖スロが浸透していなかったので、ハイビスカスが光っても、当たったと気付かずに止めてしまうお客様もいたりとか。いろいろ苦労しましたね(苦笑)。
佐:営業的な仕掛けの提案まで。ただ売るだけではないのだなと痛感します。ホールから報酬を直接いただいて、アドバイスの延長として導入機種を選定をするのか。営業方法も含めて提案した機械が売れた時に、メーカーから手数料としていただくのか。その違いはありますけど、コンサル業と重なる部分が大きいように感じます。
涌:販社の全体がやっていたのではなく、個人的にやらせていただいたことですが。丸々1軒のコーディネートを任されるお店があったんです。でも、それはそれで責任が大きくて。入れた台が動かなかったら「自腹を切って」代替機を用意しなければならなかったんです。ここが一番コンサル業に近かったでしょうか。
佐:自腹で新機種を用意すると手数料は当然入るでしょうけど、それでは全然足りないような。
涌:ええ、足りません。そこで、客層などを考慮して「ここなら動くんじゃないかな」というところに結果が出なかった機種を中古で持って行ったりしました。ロンダリングで赤字軽減しました(笑)。
佐:ロンダリング(笑)。
涌:昔は、中古機相場などが白日の元に晒されていなかったのは、ラッキーでした。あと、そのような機種をオススメするのに営業トークが磨かれました。それは冗談としても、機種をどのように生かすか。突き詰めて考えることとなりましたね(笑)。
佐:実は、先ほどからお話に出ている機種選定を丸々任されたホール、遠出をして行ったことがあります。『バルデビッグ』が導入されて。裏モノを期待して行ったんですが、ノーマルだったのでションボリ帰りました。それを入れた方だったとは(笑)。いかん。コンサル方向の話に引きずられてしまう。ちなみに、売ってしまって大変だった機種とかありますか?
涌:『ビーナスライン』です。稼働はものすごく良かったんですが、見たことのない人に、異常な数値で打ちまくられました。打たれるほどに赤字が広がっていき、交換しなければ無理。ああ、また持ち出しだ……と。
▲ビーナスライン(1998年 オリンピア)
佐:フル攻略(目押しのみで合法)をすると、設定1でも出玉率128%。順押しのみでも108%だったかな。もちろん、触ってはおります。当時は無職だったので、すみません(笑)。逆に、そこまで期待していなかったのに、よく稼働したなとか、売れたなという機種とかありましたら。
涌:随分前の話になりますが。ベルコの『ゴールデンベル』や岡崎産業の『トラッド』。オリンピアの『ビーキッズクラブ』とかですかねえ。今出しても売れないと思いますけど。
佐:ユニバーサルの技術介入全盛期時代。A PROJECTで再現されている機種の初代が活躍していた頃。技術介入機を打つ若者を怖がるような年配層でも安心して楽しめた分かりやすい機種たちですね。
涌:確かに、年配層が多いホールで大活躍してくれました。う〜ん。どうしても昔のほうが、印象に残るような機種が強かったりします。
佐:パチスロの総設置台数が伸びた、盛り上がった時期ですから。致し方ないと思います。実際、ヒット機種も問題機種も。刺激的な機種が多かったですし。とは思うのですが、せっかくなので現在の話も最後に伺わせてください。6号機も販売するにあたって、全機種を試打されていると伺いました。ぶっちゃけて、印象はどうでしょうか?
涌:イノベーションというか。日進月歩で目に見えて進化しているのは感じます。ただ、まだゴールにはちょっと遠いのかなとも。AT機は、6.2号機など緩和されてゲーム性もアップしていますが、特にノーマルは厳しいな……と。5号機が残っているからでなく、ポテンシャルの低さから「稼働しないという結果」が出てしまっているように感じるんですよね。
佐:ボーナスの枚数など、7号機にならなければ改善しないのは確定ですし。マニアに支持される機種は生まれる可能性もありますが、一般的な大ヒットは難しいのかなと。そうこうしているうちに、ノーマルを好きな層が、老眼世代になっていくというタイムリミットもありますが(笑)。
涌:なので、ノーマル以外に活路を見出すことになるのかな。その中でも一風変わっているもの。『頭文字D』とか『ガメラ』とか、サミーさんも頑張ってくれています。メーカーには期待していますし、期待させて欲しいと思っています。
佐:ホールに営業スタイルを提案できるような機種の登場に期待ということですね。本日は貴重なお話ありがとうございました。
後記
商品の市場流通という感覚ですと、産地直送など「中間で関わる人の手」を減らす傾向にあります。その視点からだけで見れば、販売会社の存在意義は薄いものだと思います。メーカーが直接営業マンを抱える形が自然に思えますが、大昔は発売される機種数も少なく、営業体制を整えるほうが高コストに。その延長で育った職種なのかもしれません。
では、時代が変わった今。販売会社の役割がなくなったわけではなく、良さが忘れられているだけで、むしろ必要な存在なのかもと思わされました。メーカーとユーザーとホールと。そのどこをも忖度せずに繋げる存在となり得るからです。
メーカーからの販売手数料という収入を軸としていますが、数多くのメーカーから「その機種をプッシュする」権利を持っていること。そのホールごとで違うユーザーの性質を見極めなければ営業ができないこと。どのホールと客層が近いのか、どのような扱い方をすれば稼働も利益も取れるのか。そういったホールごとの“横の比較”もすることができます。
メーカーの営業マンですと、当然そのメーカーの利益になるようなことしか言えません。コンサルだと、報酬を支払うのはパチンコホールのオーナーとなるので、顔色を伺ってしまうこともあるでしょう。そのどちらでもなく、独立した立ち位置を保ちやすいのかなと。
それでいて、販社さんを絡めても、基本的に販売価格は変わらないのですから、ユーザーが不利益になることもありません。
メーカーが直販体制を整えても、細々したところまでは目が行き届かないでしょう。目が届かなければ、ホールコンの数字などビッグデータだけが正義となって、それぞれの打ち手の好みが反映されにくくなってしまいます。販社さんの営業スタイルは、結果的にユーザーの気持ちを代弁してくれることに繋がります。
歴史を振り返って、そういった“間のつなぎ”を補完してくれていたのが販社さんであったということ。それだけではないですね。販売条件に合致しない支払い方法しか用意できないホールを立て替えることによって救済したり。最盛期に18000軒ものホールがあり、まさしく国民の娯楽となっていたパチンコ文化を支えていた存在だと気付かされました。
あ、あと。あの時代は裏モノだらけとなった理由も、よ〜く分かりました。面白おかしくチューンアップすれば、売れて儲かるではなく。メーカーから買わされたから売らなきゃいけないと、必要に迫られてのことだったんですな(笑)。
※なお、裏モノとメーカーは関係ありません
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- 佐々木真
- 代表作:パチスロ攻略ライターの思考ルーチン
裏モノ全盛期に“ギャンブル”としてパチスロを始めたが、技術介入機時代に最適手順を模索するなど“遊技”としての魅力にはまり、履歴書に大きな穴をあけてしまう。2000年よりパチスロ雑誌などで編集兼ライターの活動を開始。現在は、ほぼすべての機種の発表会や取材に参加。法律・規則などの知識をもとに、根幹システムの推測をライフワークとしている。
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