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③大きな波と責任
③大きな波と責任
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アリオリ侍:Reさん
がんばった - 投稿日:2022/12/21 22:59
新海誠が好きです。
……冒頭でこんな事を言ってしまうと、
アンチ新海の方はそっとページを閉じてしまわれるのでしょうか。
私は「ほしのこえ」の時からずっと新海誠を追い続けている、筋金入りのファンです。
というのも、彼が個人でアニメを作っていた2000年代初頭は、
同人ゲーム業界では東方シリーズのZUNさんや、
ひぐらしのなく頃にの竜騎士07さんなどが台頭する時代でもありました。
今でこそアニメやゲームなどを個人で制作するのは一般的になってきましたが、
その当時、彼らの様な存在はとても稀有であり、スターでもありました。
中でもひときわ自分にとって輝いて見えたのが、新海誠監督でした。
そのころ私はまだ10代で、彼らの登場に新しい時代の幕開けを感じるとともに、
ほのかに憧れの様なものを抱いていた気がします。
明確に意識をしてきた訳ではありませんが、
私が比較的「なんでも屋」なのは、もしかすると彼らの影響を少なからず受けていたからなのかもしれません。
彼らと比べるのも烏滸がましいくらい、自分はずっと凡俗のままですが。
ともかく、そんな経緯もあって、私は新海誠というアニメ監督をずっと追ってきたし、
今でもとっても大好きなのです。
11月11日に公開された新海誠監督作品である「すずめの戸締り」も、もちろん観ました。
これまで劇場に3回足を運んでいますが、年が明けるまでにあと1回は観たいところです。
「すずめの戸締り」は、日本全国に散らばる『災いをもたらす扉』を締めて、
災害を未然に防いでいく、というロードムービーです。
(公式サイトより引用。冒頭12分映像も公開されてるので是非見て欲しい
https://www.telasa.jp/videos/205384 )
本作の主人公「すずめ」は普通の女子高生として暮らしていましたが、
『災いをもたらす扉』を締めることを生業とする「草太」と出会い、
巻き込まれる形で旅に出ることとなります。
戸締りを生業としている草太はともかく、
縁もゆかりも無かった旅先での災害を防ぐため、すずめはすすんで協力していきます。
すずめは、(正確には少し異なるのですが)巻き込まれた存在です。
わざわざ危険な目にあってまで、草太に付き合う義理はありません。
少なくとも、何も知らなかった彼女に、
高校生活を投げ出してまで果たさなくてはいけない責任は無いはずです。
この「災害を防ぐ少女」という構造は、前作である「天気の子」とも共通しています。
天気の子のヒロイン・陽菜は、長雨という一種の災害が続く東京で、
一時的に天気を晴れにできる力を持っていました。
天気を晴れにするという義理や責任は、彼女にも無いのですが、
貧困の境遇から抜け出す手段として、彼女はその能力を発揮します。
しかしそれには代償が伴っていて……というのが、「天気の子」の構成でした。
さらに前作である「君の名は。」も、
彗星の落下という災害による被害を食い止める話でした。
新海誠監督は、3作続けて「災害」をテーマに描き続けてきた作家だったのです。
・被災としての閉店ラッシュ
……さて、災害といえば。
パチンコ業界では、まさに本年は、未曾有の災害に見舞われた1年でした。
5号機やCR機の撤去などに端を発した災害による被災。
つまり、パチンコホールの閉店ラッシュです。
閉店ラッシュについては、シリーズ第一弾の記事で詳しくお話しました。
①「閉店ラーッシュ!」と「スマート6.5チャンス」 https://pachiseven.jp/columns/column_detail/19604#contents
そこでお伝えした通り、閉店ラッシュは本年だけでなく、2020年頃から顕著でした。
2020年というと、本寸法の災害であるコロナ禍の(日本における)元年。
ただでさえ遊技人口が減り続けていた中での、コロナです。
世間からの異常なまでのバッシングも、いまだ記憶に新しいですね。
その時期は、5号機やCR機の撤去と入れ替えに向けて、
金策に頭を悩ませていたホールも多かったと思います。
そんなさなかに一時休店や時短営業を余儀なくされ、
さらに感染対策への設備投資が重くのしかかったホールは数多かったことと想像します。
そういった連鎖的な一連の流れそのものが、ホールにとっては大きな災害だったに違いありません。
現に、たくさんのホールがこの数年で潰えてしまっているのですから。
私は、そんなホールにダメージを負わせてきた多くの出来事たち、
……例えば撤去入れ替え問題を、
広義の「災害」と捉えていいと考えています。
しかし「災害」というと、地震や台風の様な自然災害を思い浮かべるのが一般的かもしれません。
ですから私は、「災害」という言葉をもっと広義の意味で使う際、
それを代わりに「大きな波」と呼ぶ事にしています。
・大きな波
別に波でなくてもいいんです。
たとえば、火事とか雷とか地震とかオヤジとか。
ただ、波が押し寄せてくるイメージが、
自分の表現したいものとぴったりだったので選んだ言葉です。
私が定義する「大きな波」とは、
「過大な被害をもたらすもののうち、個々で対処する事が出来ない(難しい)もの」のことを指します。
マクロ的な視点で「大きな波」の例を挙げると、
地震や洪水といった自然災害、国家・世界規模の経済危機、
政策などによる社会構造の変化などが当てはまります。
ミクロなものでは、限られた業界・分野における需要や仕組みの変転、
一部の地域における構造の変容などが挙げられます。
もう少し具体的な話をします。
「リーマンショック」は、2008年9月に起きた世界的な金融危機・不況です。
リーマンブラザーズというアメリカの投資銀行の破綻が原因でした。
日本に住む殆どの人達には預かり知らない事件でしたが、
当時の日本の平均株価は、それを受けて11000円台から7000円台へと急落してしまいました。
(引用元:https://nikkeiyosoku.com/crash/lehmans_collapse/ )
連鎖的にあらゆる企業へとその影響は現れ、
日本のGDPはプラス成長からマイナス成長へと一気に転じました。
その余波は個人にも押し寄せており、
例えば派遣労働者の大量雇止め=派遣切りが横行し、それは年末に「年越し派遣村」へと発展しています。
この「リーマンショック」を考えるとき、
私はいつも『震源地のアメリカから、まるで津波のようにして日本にやってきた災害だ』と頭を抱えます。
リーマンショックの影響が直撃してしまった仕事や立場であったとき、
それを完全に防ぐのは、一介の個人や企業にとって無理な話です。
なにせリーマンブラザーズの負債総額は、64兆円です。日本の税収総額並みです。
その巨大さゆえに、たとえ余波であったとしても、
個々でどうにかできるレベルではない事態が沢山あったでしょう。
日本は、そのリーマンショックのダメージから立ち直りきらない2011年、
東日本大震災とそれに付随する原発事故によって、さらに追い打ちを受けます。
リーマンショックも東日本大震災も、あまりに規模がマクロすぎて、
個々人ではどうしようもない事象です。
そのような「どうしようもない」という共通点を持っているので、
私はリーマンショックの様な経済金融危機も、
震災と同じような災害――「大きな波」と、勝手に表現しています。
さて、パチンコホールにとって、
リーマンショックや東日本大震災がとてつもないインパクトがあったかというと、
「店舗減少数」だけを参照する限り、それほどでも無かったようです。
(データ元・https://www.zennichiyuren.or.jp/material/report/ )
(冒頭で紹介した数値は全日遊連加盟店舗数、こちらは警察庁発表データ)
もちろん、大きな影響があったホールもあったのだと思います。
特に震災で被災されたホールの中には、営業を再開出来なかった店舗も少なくないでしょう。
パチンコホールに影響を及ぼしたマクロの「大きな波」というと、
真っ先に思い浮かぶのはコロナ禍です。
そして次に思い浮かぶのは、消費増税でしょうか。
2019年の消費増税に併せて、
多くのホールが貸し玉料金の変更や換金ギャップを導入しました。
そのことが客付きや利益率の設定に大きな影響があったホールも、
少なくなかったと思います。
それを証明する定量的なデータは見当たりませんでしたが、
SNS上では、換金ギャップで店を選ぶという意見をよく見かけます。
・業界の「大きな波」
パチンコホールにとって影響のある「大きな波」は、
パチンコ業界にのみ影響を及ぼす様な、ミクロなものが多いと感じています。
そのなかでも最大の波といえるのは、おそらく規制変更に伴う台の撤去・入れ替えでしょう。
本年の5号機・CR機の撤去と入れ替えについては繰り返しお伝えしていますが、
4号機撤去問題の時にも、同じ様に多くのホールが閉鎖しました。
4号機の完全撤去は、2007年9月です。
2007年のホール数は2006年に比べて1000店舗以上減少しており、
その減少数は前年の2倍以上です。
また、翌年の2008年も600以上の減少を見せています。
パチンコやスロットの規制は、法律・規則・内規などによって決められています。
あたりまえですが、パチンコホールはそれら規制を構成する要件に、
関与する事はできません。
ですから、規制が変わって台の撤去や入れ替えを強制され、
それが利益を損なう事態になったとしたら、
それはパチンコホールにとって「大きな波」と言えると思います。
しかも規制が変わる事でパチンコ・パチスロ台の仕様が大きく変更され、
その影響で遊技人口が大幅に下落してしまったとしたら、
それもまた副次的な「大きな波」でしょう。
遊ぶ人あってこその遊技機であり、パチンコホールなのですから。
パチンコホールにとっての「大きな波」は、これだけではありません。
すでに紹介したものも含めて、パチンコホールに関係ありそうな「大きな波」を列挙してみます。
ぜひ、それぞれの具体的な例を想像しながらお読みください。
・遊技人口の減少
・規則変更に伴う台の入れ替え、人気の減少
・広告宣伝等の規制
・部材高騰等による台や設備の高騰、入手の困難
・新型コロナによる外出自粛による集客減やバッシング、感染対策等の設備費用増
・自然災害による物損や、地域からの人口流出
・地域の人口減少と高齢化、スタッフ確保の困難
・交換率差による地域的不利
・大規模店への一極集中、格差構造の助長
・大量導入した台の急激な人気低迷
・業界全体のイメージダウンとなる出来事の発生
・パチンコやスロットの代替となるものの流行
こうやってあらためて列挙してみると、
パチンコホールが日々これだけ多方面に向き合ってたたかっているのだと、
思わず関心してしまいます。
それは本当に凄いことだと思うと同時に、
そうして私たちユーザーが打てる場所を維持して下さっている事に、
感謝の念を強く抱きます。
・責任
一方で、「大きな波」に呑まれてしまったホールについて、
私たちはどう捉えればいいのでしょうか。
2020年からの3年間で、パチンコホールは約2000店舗減少してしまっています。
2019年のホール数の、およそ2割強の数です。
もしも3年間で2000もの店舗をつぶしてしまった会社があったとしたら、
その責任は、誰がとるのでしょうか。
普通は経営陣が身を引いたり、これ以上の損害を出さないための方策を打ちだしたり、
ともかく何かしらの形で責任を取るでしょう。
実際に閉店したホールではどうでしょうか。
きっとそれぞれのやり方で、誰かしらが責任を負っているのでしょう。
その責任とはなんでしょうか。
「大きな波」を乗り切れなかった責任でしょう。
では、「大きな波」を起こした責任は、誰が取るのでしょうか。
「大きな波」を受ける側だけでなく、
起こした側の責任はどうなるのでしょうか。
ここ3年間の「大きな波」は、2000ものホールを閉店に追い込むほどのパワーがありました。
普通の大企業であれば、自店舗を2000もつぶしてしまったのだとしたら、
その原因を作った者は何かしらの形で責任が取られるはずです。
しかしそれが「大きな波」として、
抽象的な形で業界全体に被害をもたらした場合、責任の所在はどうなるのでしょうか。
・「大きな波」の責任
たとえば、5号機やCR機の撤去と入れ替え問題。
その「大きな波」を起こした責任は、誰がどうやって取るのでしょうか。
風営法を管轄する、警察庁のトップが責任を取るべきでしょうか。
それとも、大幅な規制の呼び水となったといわれる、
高射幸機を開発したメーカーが責任を取るべきでしょうか。
私には、そんな単純な問題には思えないのですが、
みなさんはどうお考えでしょうか。
ためしに、先ほど一覧として例に挙げた「大きな波」の最後に、
「責任は誰がとるのでしょうか」をつけてみる事にします。
・遊技人口の減少の責任は誰がとるのでしょうか。
・規則変更に伴う台の入れ替え、人気の減少の責任は誰がとるのでしょうか。
・広告宣伝等の規制の責任は誰がとるのでしょうか。
・部材高騰等による台や設備の高騰、入手の困難の責任は誰がとるのでしょうか。
・新型コロナによる外出自粛による集客減やバッシング、感染対策等の設備費用増の責任は誰がとるのでしょうか。
・自然災害による物損や、地域からの人口流出の責任は誰がとるのでしょうか。
・地域の人口減少と高齢化、スタッフ確保の困難の責任は誰がとるのでしょうか。
・交換率差による地域的不利の責任は誰がとるのでしょうか。
・大規模店への一極集中の責任は誰がとるのでしょうか。
・大量導入した台の急激な人気低迷の責任は誰がとるのでしょうか。
・業界全体のイメージダウンとなる出来事の発生の責任は誰がとるのでしょうか。
・パチンコやスロットの代替となるものの流行の責任は誰がとるのでしょうか。
これをご覧になってみて、どうでしょうか?
何かひとつでも答えが出ましたでしょうか?
・「自己責任」
たとえば答えのひとつを挙げてみます。
これらの「大きな波」はすべて想定しうるものであり、
その対策を怠ったり、想定していなかったホールが閉店したとしても、
それはホールの「自己責任」だという考え方があります。
その答えは決して間違いではないのかもしれませんが、
とても大きな問題をはらんでいると私は思います。
たしかに、ホール自身の責任を全く問われる事がないとしたら、
それはホールがリスクマネジメントに取り組む価値をも無くしてしまいます。
どんな波に襲われたとしても、自身の責任を問われる事が無いのですから。
一方で、「自己責任」という考え方は、非建設的な発想だと私は考えます。
私は数年前まで、勤め先の新人全体の教育を任されていました。
度々講義をしてきたのですが、そこでは必ず「自己責任」の話をしていました。
「自己責任」という言葉は、往々にして、上の立場から下に向かって放たれます。
仕事が出来ないのは、努力をしないからだ。
大学に受からないのは、勉強を怠けているからだ。
貧乏なのは、優秀な人材になる努力をしていないからだ。
病気になったのは、健康管理を怠っていたからだ。
これらはすべて「自己責任」の言い換えですが、
ベクトルが下の立場に向かっている事をお分かり頂けるでしょうか。
上から下というベクトルは、上司と部下、親と子供、先生と生徒のように、
分かりやすい組み合わせとは限りません。
たとえば、ニュースで取り上げられた人に対して、
視聴者が上から目線で語ってしまうなんて光景はよく見かけます。
SNSでも見慣れた風景ですね。
また、「自己責任」という言葉には、副作用的な怖さがあります。
その副作用とは、他者から言われ続けると、
やがて自身に向かって「自己責任」だと言い聞かせるようになってしまう、という危険性です。
もしも全ての人間が、その責任を自己のみが請け負うとするならば、
それは社会の体を成しません。
組織は、人があつまり、それぞれが役割を発揮し、支えあう事で成り立つ共同体です。
その共同体の中で「自己責任」という考え方がはびこってしまうと、
どんな課題があったとしても、それは個人の問題として矮小化されてしまいます。
私が新人教育で「自己責任」について教えていたのは、
まさにその危険性を伝えるためです。
すべてが個人の問題なのだとしたら、私たちが会社に集まっている意味も無くなってしまいます。
だから課題は共有されなくてはいけないし、責任も誰かひとりが負うものではない。
「自己責任」は、本質的な課題解決能力を削ぎ落してしまう、会社を脆弱にする考え方です。
だから、もしも君たちが『自分は仕事が出来ない』と思い悩む事があったとしても、
それをひとりだけで解決しようとしてはいけない。
それは君たちの問題であると同時に、会社全体で向き合うべき課題なんだと教えてきました。
しかしながら、何か重大な問題が発生したときには、
誰かが責任を負う事が必要なときもあります。
責任の所在すべてを組織全体としてしまうと、焦点がぼやけてしまい、
だれもが責任を負わなくてもいい事にもなりかねないからです。
だからこそ必要なのが「責任者」であり、
上の立場である「責任者」は、自らに向かって「責任」のベクトルを示す必要があるのです。
・責任の所在
パチンコホールの閉店が「自己責任」だと簡単に片づけてしまう事が、
この業界全体にとって建設的ではないと私が考えるのは、
以上のような理由からです。
……では、あらためて問います。
パチンコホールにふりかかった「大きな波」の責任は、誰が負うのでしょうか?
このテーマを深掘りするために、もう少しだけ例をあげてみたいと思います。
例えば、スキー場。
バブル期までは代表的なレジャーとして多くの人々を惹きつけ、楽しませ、
その数を増やしてきました。
しかし、1990年代をピークにして、次々と閉鎖や休業となってしまっています。
https://core.ac.uk/reader/56657518
スキー人口も減っていく中で、コロナ禍が追い打ちをかけ、
2020年からの2年間に、全国で30箇所以上のスキー場が休業や閉業に追い込まれたそうです。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220314-OYT1T50037/
例えば、ゲームセンター。
1986年には2万6千件以上が営業許可を得ていたにも関わらず、
今では3931店にまで数を減らしていると言います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e393b128ecf0e77df1608967dc6e1df1596e6d8f
例えば、本屋。
2000年の2万1千件以上の店舗数から、20年かけて約半分となってしまいました。
https://www.bunkanews.jp/article/219153/
それから遊園地、商店街、レンタルビデオショップ、ボウリング場、写真店……。
この2~30年で縮小や一極化をしてしまったのは、パチンコホ―ルだけではありません。
例を挙げれば、きっとキリがないでしょう。
ここに挙げた例はみんな、何かしらの「大きな波」に飲まれ、
その数を減らしていきました。
そうやって、ある分野の産業が衰退していく事の責任は、
いったい誰が、どのように取るべきなのでしょうか。
至極、哲学的な問いのように感じるかもしれません。
しかしこの「責任」の所在について、私はずっと考えてきたのです。
それは特に、4号機から5号機へと移行するあの時に思いを至らせる際に、
どうしても考えてしまうのです。
その移行期に、多くのパチンコホールがやむなく閉鎖してしまいました。
しかしその「責任」は、誰がどんなふうにして取ったのでしょうか。
ホールの閉鎖を自己責任として片づけるのではなく、
業界の問題として提起され、業界の責任として未来への課題とされたのでしょうか。
どこかに責任者がおり、その責任を問われたのでしょうか。
もう二度と同じ事態を繰り返さないと反省し、研究・分析を重ね、
責任を果たそうという者は、どこかにいたのでしょうか。
もしも、それらに心当たりがあるのであれば、ぜひ私に教えて下さい。
私はいまのところ、見つけることが出来ずにいます。
改めて、問い直します。
パチンコホールにふりかかった「大きな波」の責任は、誰が負うのでしょうか?
私なりの答えを、次の回でお伝えしたいと思います。
------
先日、とあるパチ系ライターさんの記事を幾つか拝見していました。
「潰れるのも仕方ない」
「大ヒット機種が出ていない」
……なるほど、なるほど。
とても暗い気持ちになりますね。
ところで、冒頭にて
『新海誠監督は、3作続けて「災害」をテーマに描き続けてきた作家』
と、述べました。
様々なインタビューで答えている事ですが、
彼は、災害――特に、東日本大震災――に、強い影響を受けているようです。
例えば、NHK「クローズアップ現代」の取材では、このように答えています。
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pvqdx5GOng
”
僕の場合、今でも続いているのは強い“後ろめたさ”のような感情なんです。(中略)「自分があそこにいてもおかしくなかった」「私があなただとしてもおかしくなかった」といったような紙一重な状況で、それなのに自分はエンタメ映画をつくっているという後ろめたさ。
(中略)
自分はアニメをつくること以上に上手にできることは、ほかにどうもなさそうだと。だとしたら、この先時間がかかってもいいからエンタメでしかできない、今回起きた出来事に対しての自分なりの関わり方というものがあるんじゃないか。そういうふうに思いました。
”
つまり、彼は東日本大震災という衝撃的な出来事に対して、
精一杯の『自分が出来る事』をしてきたと言うのです。
とはいえ、彼は『災害を描かなくてはいけない』というような責任を負ってはいません。
彼には自由な選択肢があったにも関わらず、
災害を描く事を選んだのです。
その様な新海誠の行動原理は、
彼の監督作品である「天気の子」や「すずめの戸締り」と似通っているように思えます。
どちらのヒロインも、災害と向き合う責任はありませんでした。
「天気の子」のラストシーン。
ヒロインの陽菜は、静かに祈っていました。
それは、自分が防ぐことができたかもしれない災害の、
その被害に遭ってしまった存在たちへの祈りのようでした。
(引用元 https://www.asahi.com/articles/ASM7S622TM7SPTFC00F.html )
(画像のシーンはまた別のものです)
彼女に責任は無いはずなのに、なまじ防ぐ力があったがゆえに、
彼女は悔いを抱いて生きていかなくてはいけないのです。
「私には関係がないことだ」と、振り切って生きる様なことを、
彼女は選ばなかったのです。
新海誠監督作品のヒロインには災害と向き合う力がありましたが、
私自身には「大きな波」に抗う力が備わっているとは、到底思っていません。
また、私には抗う責任もありません。
ましてや、この業界に骨をうずめるつもりなど、私は毛頭ありません。
……だけれども。
願わくば、ほんの少しでもいいから。
その少しの悔いを抱きながら、真摯に生きていきたいものです。
「何か自分に出来る事があったのではないか」、と。
-----
つづく。
5
アリオリ侍:Reさんの
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このコラムへのコメント(4 件)
老後までパチンコホールが残ってるといいですね><
ほとんど自分の為に書いてるやつなんで、そういって頂けて望外の嬉しみです。
来月も21日に更新できるように頑張ります。
「大きな波」と「責任の所在」…僕も様々なホールに行き、いろんなところでお話を聞いていますがなかなか答えが出ないものだと思ってます。
次回更新も楽しみに待ってます!